『エイリアン』シリーズ考
最新作の鑑賞で『エイリアン』が懐かしくなってシリーズの一気見をする。
SFホラーの金字塔はいまなお変わらずにハラハラドキドキをくれた。
記念すべき第一作目は『プロメテウス』のリドリー・スコット監督、1979年製作。
最後まで生き残ったリプリー(シガーニー・ウィーヴァー)がシリーズの魅力的な主人公になっていく。
新作までの間隔がそれぞれ5~7年。監督がすべて違う。
こうして見較べるとそれぞれ確固たる個性があって楽しい。
たとえば最も異色なのはデヴィッド・フィンチャー監督の『エイリアン3』(1992)かもしれない。
救命艇が不時着した星が、犯罪者の矯正施設があった男ばかりの監獄惑星という設定ゆえ、武器がないという特異なシチュエーションでこれまでと毛色がちがう。
フィンチャーが描くと絵面も変わりアクが出る。
スキンヘッドのリプリーが見られるのは本編だけれど、残念なのは銃器の類がいっさいないという逆の発想だった。
そもそも体液が強烈な“酸”というのがゾクゾクするエイリアンの怖さで、銃器で抹殺してくれないと返り体液を浴びて味方が殺られるとか、宇宙船が溶けるとかいうお決まりの展開は観られないのだ。
それがない本編は物足りない。
エイリアンのフォルムも犬との合の子でアイボぽい。全編通して恐くない。
フィンチャー監督らしいエグイ俺様作品であることは間違いないけれど、『ターミネーター2』に似すぎているリプリーの最後など釈然としないものが残るのだった。
ちなみに、シリーズで一番多く観ているお気に入りはジェームズ・キャメロン監督の『エイリアン2』(1986)。
脚本が文句なしにおもしろい。エイリアンに母性と人格と知恵を感じさせる心憎い演出がたまらない。
登場人物も魅力的で、なんといってもリプリーの母性を目覚めさせるニュートちゃん、あの頃一際輝いていたマイケル・ビーン演じるヒックス、そして人間味あふれる人造人間のビショップ(ランス・ヘンリクセン)がすばらしい。
最後まで息のつけない展開にどれだけ恐怖したことか。
そうして同じくらい怖い出来栄えだと密かに信じている『エイリアン4』(1997)。
監督は敬愛するフランスの監督ジャン=ピエール・ジュネ。「エイリアン」にロン・パールマンやドミニク・ピノンが出演している可笑しみと、『デリカテッセン』や『ロスト・チルドレン』といった『アメリ』以前の輝かしきダークサイドを知るファンにとっては、SFホラーの世界観作りが巧みでうれしくなってしまう。
流石ジュネ監督はファンタジーだけのひとじゃない、エイリアンの恐怖を血みどろに描き、ウィノナ・ライダーをお人形さんみたく可愛いらしく撮り、クローンのリプリーをリスペクトすら感じさせながら強靭に蘇らせたその手腕に瞠目。
女性を賛美するジュネ・ワールドは、デヴィッド・フィンチャーの男気並にいい。
まだCGに毒されていない時代に生まれたエイリアンの造形美や生々しいリアルさを超えるものは、この先、そう簡単に現れはしないのかもしれない。
さびしいけれど。
古き良き『エイリアン』は郷愁となり、イコンとなり、SF映画史に燦然と刻まれきっと観続けられると信じたい。