コリン・ウィルソンと宗教
10年ぐらい前までコリンウィルソン狂の信者だった。ウィルソンを尊敬する余り、大阪文学学校で何年も委員をしていた、ツインテールでゴスロリの小悪魔めいた女の子から「もし海か川でウィルソンと恋人が溺れていて、どちらかしか助けられないとしたら、どっちを助ける?」と聞かれた時、「迷わずウィルソン」と即答したぐらいだ。
ウィルソンのどこがそんなに気に入っていたのか、今となってはわからない。お叱りを覚悟でついでに書くが、今流行りの推しってヤツもそんなもんじゃねえのか。今は夢中になっているけれど、10年後にはなんであんなに好きだったのかわからないってなっているのではないか。
ウィルソンは集中力について教えてくれていると思っていた。だ殻ウィルソン殻学べば集中力が身に付いて、勉強も出来るようになり、難しい本もいっぱい読めるようになって、医者兼作家みたいなのにもなれるなんて甘い事を考えていたのか。
そうそう、ウィルソンはデビューした頃、『ミルクバーの救世主』なんて揶揄された事もあったらしい。
まさに。
でもコリンコリンが100%の嘘っぱちだったかと言うと、そうでもないと思う。レイ・ラインに対する彼の興味や、生命力への興味など、オカルト的で狂信的な彼の思索は、昨今の都市伝説とはまた違った真摯なニュアンスが感じられ、ぼくもそこにはまったのだと思う。
今なぜ読まないかというと、そもそも今はあまり本も読んでいないからなのだが、そんな中でもウィルソンの文章はつまらないというか、あまり読む気にならないから読まないのである。
昔は面白かったものが今はつまらなく感じられるようになったと、良くあることなんじゃないかって思う。
ウィルソン狂信者だった頃も、今と同様にSNS当時はmixiだった、そんなところに考察記事を投稿していたが、オリジナルの文章というよりもウィルソンからの影響がビシバシ感じられる、というかそれしか無いといった、とんでもない代物だった。
ウィルソンの影響を抜け出すのに10年かかった。