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部屋と本と珈琲

学生寮のような建物の、開いたままの玄関引戸を通って玄関内に入る。壁にあるボタンを押してブザーを鳴らすと、はいはい、と大家さんが出てくる。仕事はどう?忙しいの?、それほど忙しくはないです、などと世間話をしながら、大家さんに家賃を払う。

脱いだ靴を下駄箱に入れて2階の部屋に向かう。小さな鍵穴に鍵を差し込んで左に回すと、カチャリと音がする。ドアを開けて薄暗い部屋に入り、奥の部屋のカーテンと窓を開ける。光が射し込んで新しい空気が部屋に入ってくる。

手に持っていたリュックを畳の上に置いて、取り出した財布をダウンジャケットの右ポケットに入れる。近くのスタバに珈琲を買いに行くために一旦部屋を出る。階段を下りて玄関に向かい、下駄箱から出した靴を履いて、開いたままの玄関引戸を通って外に出る。

細い路地を歩いて2車線道路に出る。通り過ぎる車を待って道路を渡る。山が見える方向に歩道を歩いて小さな橋を渡る。スタバの手前にある劇場のガラス前で、ぶかぶかの服を着た男と女がスマホから流れる音楽に合わせてダンスの練習をしている。

スタバの入口から店内に入るとレジ前には思った以上に人が並んでいて、L字型に折れ曲がった人の列が遠くまでみえる。並ぶのが面倒くさくなり、スタバの珈琲は諦める。

併設されている本屋のお気に入りの棚に向かう。歩いている人の肩と肩が触れるくらいに本屋も混んでいる。お気に入りの棚の前あたりで、走り回る子どもを、まちなさい、と言って追いかけるお母さんとすれ違う。

目の高さの棚の右端からタイトルを見て行く。表紙を手前にして置いてある本に目が止まる。本の帯を眺めてからその本を手に取り、数ページ読む。この本は良いかもしれない。少しワクワクしながら本を一旦棚に戻す。棚に並べられた他の本のタイトルを見て行く。気になったもう一冊の本を手に取る。村上春樹氏の翻訳本。訳者あとがきを読む。

著者は生涯でたった3冊の短編小説集しか出版していない。村上氏が2冊目までの翻訳を終えて、この本の翻訳に取り掛かったときに、出版の後押しをしてくれていた編集担当が亡くなった。気分的に5、6年ほど翻訳に手を付けられずにいた。中断していた翻訳にようやく取り掛かり、この本が完成して、3冊すべての翻訳本が揃った。そのようなことがあとがきに書いてあった。

本を買いたい気持ちが、久しぶりに湧いてくる。最初に手に取った、表紙を手前にして置いてある本、をもう一度手に取ってページをめくる。文体との相性は良さそう。予想を超える本と出会うには、ある程度の直感で選ぶことも大切だ。2冊の本を持ってレジに向かう。

本屋を出て、部屋のある建物に戻る途中、ビルの地階にあるチーズ専門店に寄る。階段を降りてドアを開けると、灯りを落とした店内の壁沿いカウンター席に女性が座っていた。キッチン奥にいる店員に、珈琲のテイクアウトはできますか、と聞いてみる。少しお時間をいただきますが、と言うので、ホットコーヒーをテイクアウトで1つ、と注文する。壁沿いカウンター席の丸椅子に座って、買ったばかりの本を開いてページをめくる。微妙な引力のある文章に引き込まれる。

ホットコーヒーのご用意ができました、と店員が言う。本を閉じて丸椅子から立ち上がりレジで精算する。左手で重ねて持った本の上にテイクアウト用のカップを載せ、店のドアを右手でゆっくり開ける。店の外でカップを右手に持ち直して階段を上って地上に出る。

部屋に戻ったぼくは、畳の上に座布団を敷いて座り、カップに入ったホットコーヒーを飲みながら本を読み進める。窓から入る西日は弱くなり、部屋が徐々に冷えてくる。押し入れから電気ストーブを出してコンセントを差し込みスイッチを入れる。電気ストーブのオレンジ色の光は冷えた足先を暖めるが、部屋全体はなかなか暖まらない。切りの良いところまで読み進めてから、家路につくことにする。


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