ウララウララウラウラの♪
♪世界中の贅沢を
♪どれもこれも身に纏い
♪飾り立てた王宮で
♪かしずく男を見ていたい
……を地で行ったのが秦の二世皇帝胡亥なんだなぁ……。
彼の「身分相応の生活をする」という考え方は荀子なんかにも出てきたので、間違ってはいないのかもしれませんが。
しっかし『史記』の《始皇本紀》の胡亥のところを読んでると、「なんでこんなに愚かなの?!」って誰もが突っ込んでしまうと思います。
ただ、私は人の客観的な愚かさは本人の無意識から生まれるというのも知っているので。
本人は「これが正しいんだ!」と思ってやってることが、周りから見たら「馬鹿じゃないの?」ということはよくある。
私も他人を見てきてそう思うことは多々あったので、多分周りから見た私も幾度となく「馬鹿じゃないの?」って思われてきたんだと思います。
そして大抵そういう他人から見て「馬鹿じゃないの?」という生き方が本人を苦しめている。
周りから見たら「あなたが生き苦しさを感じるのも全てその愚かな行いのため」としか言いようがないのだけど、当の本人はその自分の行為を「愚かだ」なんて感じず無意識にやってるもんだから、いつまで経っても生き苦しさから抜け出せない。
他人から言われる「馬鹿じゃないの?」は「夢を妨げる」なんて言われることもあるにはありますが。
他人が夢を妨げる目的ではなく本気で「馬鹿じゃないの?そんなのおかしいに決まってる」と言ってしまうような行為は本人も本気で無意識にやっているという恐ろしさ。
むしろ「夢を妨げるような他人の侮蔑」は本人も自分のことを「(こんな風に夢を追いかけてる自分って)馬鹿だな」なんて感じるものです。
例えば人の悪口を言っていたり。
適当にあちこちにいい顔する割にいざという時に動こうとはしなかったり。
自分のことだけを考えて、周りに媚びへつらって他の人を貶めたり。
こういうのって本人は完全に無意識にやってるし、むしろそれをするのが正しいとすら思ってることもある。
他人のそういうところをたくさん見てきたし、多分私にもそういうところがたくさんある。
「私は絶対にこういうことはしない」なんて考え自体が危険。
私自身ははっきり言うと絶対やってきたし、身に覚えもあるし、多分これからもやってしまうことはあると思います。
恐ろしいのは本当に無意識に出てくる、こういう愚かさ。
これにはどこかで気づけばいいのだけど、胡亥みたいに身を滅ぼしてしまうことも。
そういう無意識な愚かさは誰にでもあって、私にもある。
だからこそ、私は己の「無意識な愚かさ」が恐ろしい。