『たまごの祈り』⑩

 引っ越しの日まで一週間を切っても、柳と私は相変わらずのんびりとしていた。私は柳のその呼吸の落ち着いた早さや、細ながい指先や、柔らかな物腰なんかを、すっかりと信頼していた。私が柳の新居に転がり込むことを決めたのは、今の家よりもずいぶんとキッチンが広く、トイレとお風呂が別々なのが魅力的だったからだ。
 それにしても、柳は優しい。私が、お風呂を三日に一ぺんは沸かしてもいいかと訊いたら、好きに入ってもらって構わないよ、と言うし、植物を育てたいのだと語れば、ベランダのあるほうの部屋を自然に私に譲ってくれた。柳にはなにか希望はないのかと訊くと、控えめに、たまに家の中で写真を撮らせてくれればそれでいい、と答えた。
 柳は何というか、危なげのないひとだった。山奥にある川のはじまりで岩肌を流れる湧き水のように、凜と落ち着いていて、それでいて潤いがあり優しかった。私は、男のひとと住むなんてことはとても重要なことであるような気がしながら、柳との同居を両親にさえ話していなかったし、何より自分が自然なものとして、柳との生活を受け入れていた。私はいわゆる男性というものが苦手なのだけれど、他の男の人みたいに、どことなくぎらぎらしたような雰囲気は彼からは感じられなかったし、人が嫌がるようなことはしないだろうという妙な安心感が、柳にはあった。つまるところ、私は柳という人間を気に入っていたのだと思う。

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