『たまごの祈り』③

 彼は私と同じ大学の文学部の学生で、学部のみならず学年も同じ二年生だということだった。サークル活動の一環で映画を撮っているらしかったが、映像よりも写真を撮るのが好きだというので、いくつかの写真を見せてくれた。私は、ふわふわの猫のピンクがかったお腹の写真と、川辺に揺れる陽を浴びた若草の写真をとても気に入った。
 写真の中の川に見覚えがあったので、これはどこで撮ったんですかと訊くと、私のうちの目の前を通っている川だということがわかった。互いの家が近所であることがわかると、案外簡単に私たちは打ち解けた。家の前にある電線にびっしりと並ぶ鳥とか、亀を紐にくくって犬みたいに散歩するおじいさんとか、朝方ずっと「エリーゼのために」を練習しているピアノの音とか、そういったものたちを共有しながら、私たちは笑った。
 近所のスーパーよりも川の向こうにある薬局のほうが、もやしとか卵とか食パンなんかが安いんですよ、と話すと、彼は、それは知らなかったな、といって眉を下げながら微笑んだ。

「綺麗だな、と思ったんですよ」
 彼が唐突に言った。最初は何のことを言っているのかわからなかったが、彼が私から買った卵形の彫刻をテーブルに置いて、ちいさくつついて揺らして見せたので、それのことだとわかった。
「これをきっかけにカフェについてきたのに、お話をしないのも、変かなって。でも、なんていうかな、ほんとうに不思議で美しいと思ったんです。綺麗だと。こんな綺麗な卵を生み出せる、人がいるんだなって思って。それだけ、なんですけど」
 彼はゆっくりと、言葉を選びながら話をしているらしかった。なにか、お友達が砂で作ったお城を壊してしまったときのような、やましいことをした後の幼稚園児みたいだった。あまりに拙く喋る彼と、褒められ慣れていないので黙ってしまう私と、窓から流れ入る夜の匂いは、変に混ざり合って、そこに浮かんでいた。もうすっかりと夜だった。何かをごまかすために持ち上げた飲みかけのコーヒーは、とっくに冷めてしまっていた。

 私は心の中で繰り返した。
 柳くんはブラックコーヒーが飲めない。

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