『たまごの祈り』㉖
考え事をして頭を使った時、私は無心で卵を生み出したくなる。
しばらく布団の上で座り込んでいた私は、不意に立ち上がり部屋の隅に置かれたままの段ボール箱から、手頃な大きさの木片を取り出した。木片の周りをおおまかに彫刻刀で削ったあと、紙やすりでただ表面を撫でてつやつやの卵形に仕上げていくと、心が落ち着いていく気がする。新聞紙の上にぱらぱらと木屑が山になって溜まっていく。そこには私と、私の手の中から生み出される卵しか存在しない。それでもその日はもやもやとした気持ちが渦になって、いつの間にかみっつの卵を生み出した時に、突然にインターホンが鳴って、私は身体をぴくりと震わせた。
新しい家でインターホンをきくのは初めてだなと思いながら、粉のような木屑がついたままの手で玄関を開けると、柳が両手に大きなスーパーの袋を持って立っていた。私はなぜだか安心して泣いてしまいそうになった。
「ただいま。伊田、まだ晩飯食ってないよね?今日、鍋にしようと思って」
二人分だと思って気合い入れて買ってきたから材料買い過ぎちゃったかも、といって笑う柳に、泣いてしまわないように注意深く息をしながら、おかえり、おなか空いた、とやっと声に出した。私はこの人間と暮らし始めたのだな、と、不思議な気持ちになって、肩の力が抜けて、遅れてつられたように笑った。
「何鍋なの」
「豆乳鍋。シメ、うどんとラーメンどっちがいい?」
「ラーメン」
「おっけ、じゃあそこの袋から冷凍庫にうどん入れといてくれる?いまから野菜切るからその辺座って待ってて」
「手伝うよ、ていうか私が切るよ、疲れてるでしょ」
「全然。今日おれまだまだ元気だし」
「ふーん、じゃあ任せる」
「おう、任せろ」
「お鍋ってこれでいいの?」
「そうその茶色のやつ」
「じゃあ豆乳鍋の素は私が鍋に開けよう。お、めっちゃ豚肉あるじゃん」
「ありがと、今日はおれらの本格的な最初の晩餐だからな。肉いっぱい食おうと思って」
「最初の晩餐ね」
柳があまりに調子よく話すものだから、安心して、すこし笑ってしまった。柳はずっと前から気心の知れた人みたいだなと思った。柳がいると、ロールプレイングゲームで強くて新しい装備を身につけたみたいに心強かった。幼稚園の頃の私も、中学生の頃の私も、こんなに安らかに男の人と暮らし始める私を、きっと想像できなかっただろうなと、ふと思った。