ミラーの前が主戦場。我が家のルッキズム
中学生女子の前髪に宿るもの
中3女子の娘が、朝、洗面台の鏡の前から動かない。
親の私から見ると、昨日も一昨日も1週間前も、全く同じにしか見えない彼女の前髪。娘はもうかれこれ30分も前髪と格闘している。口を開けばカラコンが必要だとか、ベビーパウダーがどうだとか、美容番長のように語り出す。美容とモテと前髪が朝の彼女の関心事のほぼすべて。どんなに贔屓目に見ても、相当なおチャラけぶりだ。中1になったばかりの下の娘も、足のむくみを取るメディキュットを買えだのとか、推しのビジュがどうだのとか、姉に負けず劣らずの脳内お花畑を露呈している。
彼女たちは自分の前髪に特別うるさい。たった一ミリの違いも許さず、「あー、今日の前髪サイテー」と言いながら、学校に出かけるのだ。洗面所には細かい粉のような前髪の残骸が散らばっている。前髪が自分の思うようにならなかったら、容赦なく自分で前髪をカットする。絨毯に落ちたら掃除機がなかなか吸ってくれないような1ミリ単位の細かさで、前髪を切るのだ。
ここで、「私が中学生のころは!」などと説教してもどうしようもない。時代がぐるぐると何週も回るぐらい年齢が違い、社会の環境がことごとく違い、情報量の多さもスピードも圧倒的に異なるのだ。彼女たちのデフォルトの世界は、中学生だったころの私の想像をはるかに超えている。
ルッキズムは悪者なのか?
巷で言われているように、今時の中学生のルッキズム、いわゆる外見至上主義はかなり深刻だ。いじめや不登校の原因になったり、「美男美女=偉い」などの偏った判断をしたりなど、大人から言わせれば、「あほちゃうか?」と口をあんぐりしそうな価値観に支配されている。
不安定な少年少女時代をとっくに卒業した大人たちは、
「見た目で人を判断するな」
「見た目ばかりで中身は空っぽな人間になるな」
など、行き過ぎたルッキズムを非難したり、馬鹿にしたりする。
私も例にもれず、「メイクとか髪の毛とかどうでもいいから、中身を磨け、中身を」と子供に言い放つ。
あほちゃいまんねん。好きでんねん。
しかし、「あほちゃうか?」と口にするものの、実は私は、T.Jun氏の漫画『外見至上主義』の大ファンである。ルッキズムに一石を投じる作品だが、漫画であろうが実写であろうが、見た目が良い人たちを見るのは、非常に気分が良いもんだ。
イケメンも好きである。テレビや動画の中に若いイケメンを見つけると、これまたうれしい。20代の若い女の子を見て、「かわいいなあ」と鼻の下を延ばしている同年代の紳士を見ると、「あほか、おっさん」と心の中で悪態とつくのに、自分も20代の男前を見て、「なに、このイケメン!」と目からハートを飛ばしまくる。
自分自身も美容に興味がないわけではない。シミがとれるだの、やせるだのという宣伝文句にすぐ飛びつく。いつもよりいい感じにメイクができたら気分がいいし、ヘアスタイルが決まれば足取りが軽い。そう。自分自身がキレイでいると、気持ちよいのだ。
それなのに、である。おしゃれに気を砕いている自分は、人にさらしたくないのだ。なぜか、美容に一生懸命になっている自分に気づくと、自分を否定したくなる。自分にダメ出しをするのだ。
堂々と美容を楽しむ人をSNSで見つけると、羨ましさの裏返しなのか、ちょっとSNSの主にケチをつけたくなる。「見かけしか興味がないグループ」という偏見だらけの檻に収監して、自分はそのグループではありませんと、いう顔をする。本当は気になっているのに、そのグループに入りたいのに、である。
いったいなぜなんだろう。
「見かけを良くするのは異性の気を引くため?」という考えが私の潜在意識のどこかに刷り込まれており、そこに拒否反応を示しているのだろうか?
はっきり言おう。キレイでいると、自分自身の気分がよい。さらに言えば、イケメンは好きだ。しかし、恋愛や異性にもてることには、現在まったく関心がない。「じゃあ、どうしてキレイになりたいのよ?」と自分自身に突っ込んでみた。
人は誰もがパワー測定レーダーチャートを持っている
動物が美しさを誇示するのは、多くの場合は異性を惹きつけるためである。しかし、動物である私は異性のために美しくなろうとしているのではない。なら、なぜキレイに執着するのか。
「それはたぶん、『美』が一つのパワーの象徴だから。」というのが、今のところの私の結論である。
人のパワーを測るいくつかのベクトルがあるとする。賛否両論はあると思うが、成績が良い・頭の回転が速いなどの「頭のよさ」、顔やスタイルが美しいなどの「美貌」、芸術や運動などの「スキル」、優しさや柔軟さ、寛大さなどの「精神性」、フィジカルの状態が良い「健康」など。人はこうしたパワー測定レイダーチャートのようなものを常に自分の頭の中に備えているのではないだろうか。
「頭のよさ」や「精神性」、「スキル」などはコツコツと蓄えるものである。もちろん「美貌」や「健康」も日頃の努力がものをいうが、たまに「これ一つでお肌ピカピカ」とか、「1週間続けたら寝起きスッキリ」などのブツに出会うことがある。そういった時には、パワーゲージが一時的にぐんと上がり、自分が何段階もレベルアップしたかのような気になるのだ。「レベルアップした自分=気分いい」のである。
他人を貶めるような醜悪なルッキズムには嫌悪感しかないが、自分のパワーアップのためのルッキズムは一概に悪いことではないような気がする。
娘たちのルッキズムも同様だ。もちろん年ごろなので、異性の目も気になるだろうが、自分の美貌がアップすることでパワーが上がり、揺れやすい中学生の人間関係にも多少なりともポジティブな影響を与えるのかもしれない。私の中にも、ルッキズムは明らかに存在している。自分が自分に日々格付けをするようなものだ。外見の出来栄えで、今日の自分の点数が変わる。
だから私は、鏡の前にへばりつく娘にこう声をかける。非難とも愛情ともとれる少し気の抜けた声で小さく「あほか」と。