映画短評第四回『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』/それは本当の覚醒か?
金と権力を持った性差別主義者が最も恐れたこと、それは被害者たちの団結だ。不正がまかり通る世の中にあって、食い物にされる人々の力は小さいが、寄り集まって目標を共にすれば、強い力を発揮することができる。
犯罪界の大物と別れ保護を失ったハーレイ・クインは、恨みを持つチンピラたちから狙われ始める。転んでもただでは起きない彼女は、悪党に虐げられてきた女性たちを巻き込んで、過激な反撃に打って出る!
既存の作品群から解放され自由度が増した物語には、現実の#MeToo以降の流れが組み込まれ、暴力的な男性権威への反発で満たされている。
その反発をハッキリとした形で表しているのがアクションだ。人数差/体格差のある男vs女の構図で、バッタバッタと追手をなぎ倒していくハーレイと仲間たちの姿には、現実には許されない実力行使・鉄拳制裁の気持ちよさが詰まっている。スタント会社「87イレブン」による振り付けは、同社の手掛けたアクション映画『アトミック・ブロンド』のような、携行品使いや二度打ちという身体的不利を埋めるリアルな戦術的構造をあえて捨てている。軽快さが優先された、身体的不利をもろともしない戦闘描写は、アメコミ原作ならではの魅力でもある。製作陣もそこを理解したうえで設計しているはずだ。
魅力を感じられるのは、アクション以外の描写にも要因がある。自分を見失い個人や組織に依存することで生き延びてきた女性たちの、それぞれに抱える葛藤や悩みが蓄積する過程と、支配してくる男性たちのゲスさ加減を丁寧に見せていく。それが感情移入をうながし、最終決戦での感情的爆発に対する肯定を引き出してくれるのだ。
だがこの“肯定”を素直に受け取れるだろうか。社会を暴力的なやり方で支配してきた男たちを、暴力で返り討ちにする。公権力側の真っ当なキャラクターすら、最後には非合法の自警活動に走るから、法の裁きよりも直接の制裁を、というやはり暴力的な方法を支持する形になる。
現実の女性たちの団結と反発は、綿密な報道とそれに基づく法廷抗争によって進んでいる。隙があれば叩かれ、すぐにひっくり返されてしまうような危うい状況を、彼女らはあくまでも法に則った正当な勝負として戦い続けている。ハーレイたちの戦いは、その見方からすれば正反対で危険なのは間違いない。
ただ、これはDCコミックスのキャラクターに基づいたおとぎ話。作り手たちも、暴力に100%賛同しているわけはない。悪人たちがウヨウヨいるこの世界で、そいつらの股間に爆薬を詰めてやる、くらいの意気込みで戦うのは意味のあることだ(あくまでも意気込みだけでお願いしたい……)。
アクション映画として消費するつもりで見て、正しくなさを含んだ爽快感とカッコよさを楽しむ。それに加えて、物語や戦い方の是非について話し合うきっかけを受け取れれば、今作の作られた意味は十分にある。
まだまだこれからの大躍進劇。その起爆剤になることを心から願っている。
(文・谷山亮太)