映画短評第二十回『ビーチ・バム まじめに不真面目』/海の上で生きる
主人公のムーンドッグ(マシュー・マコノヒー)は詩人である。かつて出版した詩集で天才と称されたこの詩人は、現在は何をすることもなく、大富豪の妻とともに自由気ままな生活を送っている。酒を飲み、女と踊り、船の上で寝ること。これがムーンドッグの人生である。遊ぶ金はすべて妻が出してくれるため、働く必要などない。ここには享楽しかない。誰しもがムーンドッグのような生活を一度は夢想したことがあるに違いない。
しかし、彼の楽園生活は妻の死によって終わりを迎える。彼女の死は、生活のための資金の枯渇を意味した。賑やかで豪勢な暮らしは消え、ムーンドッグはホームレスとなる。『ザ・ビーチ・バム』が優れているのは、このような絶望が主人公と対峙しようとも、映画がその楽天性を失わないことである。
ムーンドッグがこの苦境から抜け出す方法はひとつしかない。それは詩を書くことである。詩を書き、詩集を出版すること。これが、ホームレスから抜け出し、社会ともう一度かかわりを取り戻すことにつながるだろう。
しかし、彼は書かない! このような状況においてさえムーンドッグは書かないのである。では何をするのか。それは釣りであり、酒であり、ボートの上で寝ることである。あくまでも、生活の中心が快楽と娯楽なのは変わらない。そして重要なのは、そんな享楽の合間に、ほんの些細な時間に、ほんの少しずつ、彼は詩を書いていくのだ。
どんな危機的状況においても常に怠惰で、かつ不真面目でいることを貫くムーンドッグの行動原理に、社会的な倫理や規範、常識は存在しない。あるときムーンドッグは、海の向こう側に見えるビル群を眺めながら“civilization. . .”と哀しそうに呟く。そして彼が詩を書くのはノートパソコンではなくタイプライターだ。これは文明社会を拒絶する態度の現れであり、だからこそ彼は都市から離れて海で生活をする。海の上、浮き輪をつけてゆらゆら浮かぶムーンドッグを捉えるショットは、無目的かつ享楽的な映画そのものを表象した優れたショットである。
(文・中島晋作)
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