映画短評第二回『続ボラット 栄光ナル国家だったカザフスタンのためのアメリカ貢ぎ物計画』
演技は、観客が「役者が演じている」という感覚をもって見ているときに、初めて演技になる。もし日常生活の最中に、役に入り切った役者が現れても、役者だと分からなければその人の行動を演技と認識するのは難しい。役者の技量次第ともいえるが、このような「演技が演技でない瞬間」を利用すれば、思いがけない本音を素人から引き出せることがある。何度も使える手ではない。にもかかわらず、サシャ・バロン・コーエンは過去にそれを二度も成功させ、大胆にも(愚かにも?)また挑戦した。しかもこの2020年というタイミングで。
祖国カザフスタンの名誉を傷つけたとして、終身刑に服していた元ジャーナリストのボラット。彼は釈放と引き換えに、強国の仲間入りをするため手を貸すよう、大統領から指示を受ける。一時的に自由を得たボラットは、米副大統領マイク・ペンスに媚を売るため、サルを貢ぎ物としてアメリカに渡るが……。
全世界で論争を巻き起こした前作から14年。フェミニスト団体やペンテコステ教会、さらにはロデオ大会の観衆と、片っ端から怒らせてつまみ出されていたが、今回は比較的おとなしめ。その反面、標的が絞られている。米大統領選と新型コロナウイルス流行が重なった今年、トランプ政権支持者の集会に二度も乱入し、彼らの意見と行動を近距離から煽り、果てには権力者の凶行をハッキリ映像に収める。
ドキュメンタリーとは異なる、煮詰められた純度の高い歪んだ真実。それらがボラットという特殊な存在に引き出され、ポロポロと渦中の人物たちからこぼれていく様は滑稽だが、笑うに笑えない。
もちろん、あの加害者精神が合わない人も、そもそもの構成や劇パートに違和感を持つ人もいるだろう。それでもまずは見てほしい。不謹慎さが薬になる珍しい例かもしれない。
(『続ボラット(以下略)』はAmazonプライムビデオで独占配信中)
(文・谷山亮太)
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