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食べられることのありがたさをかみしめ、嬉しさに嗚咽したマカロニサラダ

2日前にも、お腹がすく自分に、だからまだまだ大丈夫、という話を投稿しましたが、私は、若い頃から、仕事で辛いことがあっても、彼氏につれなくされて落ち込んでも、それに、かなりの体調不良でも、“食欲だけは旺盛”ということで、精神的に救われてきたような、そんな人生を送ってきました。

いや、食欲のよさで人生を送ってきたというのは大げさですが。笑
まあでも、大げさにいうと、そうなのです。

40代の前半までは、食べても食べてもまったく体重が増えず、むしろ大食いしていないと痩せていってしまい、普通の量を食べているくらいでは、すぐに体重が40kg台前半にまで落ち込んでしまうという、現在の肥えまくった私からは信じられないような体質をしていました。

そんな私が、1週間か、いやもっとだったか、急性咽頭炎での喉の痛みが最高潮に達して、食べられないどころか水も飲めず、自分の唾液にも激痛、なんなら吸う息にも激痛という日々を送ったことがありました。
1999年の春のことです。

回復し始めて食べられるようになった日のことは、今でも忘れません。
そのことを、かつてどこかに綴ったよなーと、以前やっていたアメブロだったかなと検索してみたら、やはり書いていました。

その投稿はここですが、少しリライトして再投稿します。
下の仕切り線以下です。
(↓着物を着ている私のプロフィール写真の解像度がなさすぎて。笑)

そう、入院した病院で1週間ぶりに食べた普通食のマカロニサラダのおいしさったら!
今でも、その時の感情と光景が、ありありとよみがえってきます。
アメブロへの投稿は、東日本大震災があった2011年の3月11日から10日後の21日のこと。
この時も、食べられることのありがたさ、食べられることへの感謝を思ってアップしたのでした。



「普通にご飯が食べられることに感謝しています」と。
テレビのニュースの中で、被災地にいる赤ちゃんのお母さんが、そう言ってました。
すやすやと眠っている赤ちゃんは、震災の翌日、3月12日に生まれた女の子。

被災地のとある旅館が、生まれて間もない赤ちゃんのいるお母さんたちを客室に泊めてくれて、世話してくれているというニュースでした。

別のニュースでは、ミルクで赤ちゃんを育てているというお母さんが、避難所に届けられるミルクがすべてなくなって困っていたところ、自衛隊の人が、どこそこの病院に行けば、赤ちゃんのミルクはくれるから行きなさいと教えてくれたと。

でも、病院では、病気や怪我で入院している人の分の食料確保もままならず、赤ちゃんのミルクはもらえても、お母さんは食糧がもらえず、もう3日、ほとんど何も食べていないと。

普通にご飯が食べられることに感謝・・・。

今回の震災で被災された方たちには遠くおよびませんが、私も、心からそう思ったことが過去に一度あることを思い出しました。

その時、急に体調をくずして、風邪かなと思っていたら、強烈なのどの痛み。
耳鼻科に行って、処方された抗生物質を飲んでも痛みは増すばかり。
その痛みで、食事どころか、水も、水どころか、口にたまる唾液も飲みこめないという状態に。

3日後、熱もどんどん上昇し、はかると41.3℃という、見たこともない数値。

時々、意識がもうろうとして、暗闇に吸い込まれるような感じになっている中、救急車で病院に運ばれました。

しかし、入院の翌日の昼、それまで、まったく喉を通らなかった、中身がほとんどお湯のようなおかゆがが、どうにか食べられるように。

体は、みるみる元気になっていく感じがして、点滴の抗生物質のすごさに驚きました。

病棟の端にある部屋から出て、点滴スタンドをゴロゴロさせて廊下を歩き、反対側の端にある談話スペースまでを何度も往復して動けることを楽しんでいたら、看護師さんに、「まだ絶対安静なんですからー、気持ちはわかるけど、おとなしくしていてねー」と注意されてしまいました。笑

病院の窓から見下ろすところには、JR山手線がひっきりなしに往来。
その向こうには恵比寿ガーデンプレイスが。
春の心地よさげな陽気の中、行き来する人々の顔まで見えないものの、伝わってくる雰囲気は楽し気そのもの。

それなのに、私は、病院から出てはいけない身であって・・・、と。


その日の夜、急に、「すごく食べたい」という欲望が湧いてきて、昼には、どうにかこうにかだった食事が、「もっと、食べたい」「もっと食べなければ」と切望するように。

看護師さんにそのことを告げると、「では、明日から普通食を出してみますね」と。

そして翌朝。
私の目の前に、普通のご飯と、普通のお味噌汁と、おかずは、小鉢に入れられたものが3種類並んでいました。
その一つがマカロニのサラダでした。

なにしろ、ふつうに食事をするのは約1週間ぶり。
食べたい意欲はあっても、口にするのは勇気が必要でした。

「よーし!」と思って食べ始めて最初に感じた「おいしい!」という感覚。
ゆっくりと、でも、夢中で食べました。

その途中、急に、胸の中に去来したこと。
「おいしいって思うことって、こんなに幸せなことだったのか・・・」
「その、おいしいものがあることって、こんなに幸せなことだったのか・・・」
「食べられる体、食べるものがある環境、どれだけ感謝すべきことなのか・・・」と。

病室で、一人だったこともあって、号泣してしまい、それを抑えようと嗚咽にまでなってしまいました。

それが、1999年の、ちょうど今ごろの季節であることと、入院したのが3連休の真ん中の日だったことを思い出して、1999年のカレンダーを検索して見てみると・・・。

入院した日は、1999年の3月21日。
そう、今日は、3月21日です。

その時、普通にご飯が食べられることに感謝したことを、私は、もう、ほんの時々しか思い出すことをしていませんでした。

普通にたべられるご飯、
普通に着ている衣類、
普通に寝られるベッドに布団に、
かけがえのない家族や友人や、日本中の人々や、世界の人々に、感謝の気持ちを忘れないでいたいです。

人々をとりまく自然は、時として、人々の脅威にもなります。
それでも、あまねく自然が、人々に多大な恩恵をもたらしていること。
そのことにも感謝。


読み返してみて驚いたこと。
それは、3月21日という日。
今年の、つい最近の3月21日は、私が乳がんの手術を受けた日。

写真のマカロニサラダは、今日、このことをアップしようと思っていたこともあり、スーパーのお惣菜売り場で見つけて「あー!あなた!」と、買ってきたものです。

手前がマカロニサラダ、奥がポテトサラダ、2種盛り合わせのサラダなのが、これまた私の購買欲、いや食欲が・・・。笑

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