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昭和時代、日本から漫画、アニメを生み出した『伝説のクリエイターと作品』①手塚治虫さん

皆さん、こんにちは。

マルチライティング『宙唄(そらうた)』

です。

ここまで1ヶ月ちょっとライティングを続けてきて様々なジャンルの事をアウトプット、メタライティングしてきました。


その中で、「オタク」「アニメ」の事を書き出してから、ずっと意識してきたのがこの企画

昭和時代、日本から漫画、アニメを生み出した

『伝説のクリエイターと作品達』


その最初は、やはりこの人しかいません。

①手塚治虫さん

手塚治虫は、1928年11月3日、大阪府豊中市に3人兄弟の長男として生まれ、5歳の時に兵庫県川辺郡小浜村(1954年に宝塚市となる)へ引っ越した。その後、上京するまでそのまま宝塚で過ごした。
開放的な家庭に育ち、漫画とアニメーションに親しみ、機智に富んだ想像力豊かな少年であった。
また昆虫をこよなく愛し、ファーブルを思わせる少年でもあった。自身のペンネームに「虫」という字を当てたことでも、その興味の程がわかる。
戦争体験から生命の尊さを深く知り、医学の道を志して後年医学博士になるが結局彼自身が一番望んだ職業を選んだ。
すなわち漫画家、アニメーション作家である。手塚治虫が創作した漫画とアニメーションが、第2次世界大戦後の日本の漫画・アニメ界、また青少年の精神形成の過程で果たした役割は計り知れない。

https://tezukaosamu.net/jp/about/


手塚治虫さんの作品の中に流れているメッセージ性は「世代を超えていく」ものが存在している。

「生態系」「医学」

から

「漫画アニメーション」

を行動として選択した事、人類がまた第二次世界大戦が終わり、日々の自分の生活の糧や暮らしにスポットが当たっていた時代に、

「火の鳥」「鉄腕アトム」「仏陀」「ブラックジャック」「リボンの騎士」

など数々の名作を含む

『604』

の創作を発表しています。

焼け野原を日本人が生きている頃、

「大阪帝国大学医学部博士号」を取得した

若者が

「漫画家」

になる。

その人生の目的に、自分の存在の活かし方に

あまりにも早く、しかも明確に目覚め、未来へ向かう時代を切り拓いた

唯一無二の「先駆者」

でした。

まさに

『命懸け』の大業に没頭した生涯

だった事でしょう。

どんなに後の漫画アニメクリエイター達が、彼を越えようとしても、彼なくして

今の「漫画アニメ」は存在しなかった

事でしょう。

そして

「文学」「映画」「哲学」

といった世界を生きる人々や業界にも彼の作品は多大な影響を与えていきました。

そして、更に凄いことは、彼の「漫画アニメーション」には

人類普遍のテーマ

が盛り込まれています。

「悟り」「生命」「神秘」「宇宙」「輪廻転生」


「未来永劫」続くような人生への気づきへの向き合い方を、

「漫画アニメーション」に触れる全ての人類へ、

彼の作品達は今を生きる私たちに語りかけ続けています。

僕が手塚治虫さんのアニメーションの中でも最も好きなものが「火の鳥・鳳凰編」です。

このラストシーンの「蛾王」と「天道虫」のシーンは何度見ても涙します。

人という生き物。人生の儚さ、取り返しのつかない過ち、過去、未来。

誰にも言えぬ思いや、絶望、悲しみを抱えて、地球人類は今も歴史を紡いでいます。

「鳳凰・火の鳥」

は輪廻転生・生命循環・蘇生再生の象徴として描かれています。

我々の宇宙は「400億光年」とも「9000億光年」とも言われます。
1光年が「9兆4600億キロメートル」です。

途方もなく広大な宇宙。しかもその宇宙すら、無数に存在している可能性が高いとされています。

手塚治虫さんが「生涯をかけて作り上げた」作品達。

彼の世界観に描かれた様な

「多次元宇宙」

の世界は、彼の作り出した

「昭和のメタバース」

とも言える「漫画アニメーション」という技法と

「手塚治虫哲学」

とも言える記録達とともに、
未来へ向かっていくことでしょう。

我々地球人類はいつになれば、本当にこの地球や宇宙、生命の本質に目覚めて、彼の様に本質を生きることに生命を捧げられるのでしょうか?

「虫」

に答えに向かうヒントがありそうですね。

いかがでしたか?
ではまた!

マルチライター宙唄でした。


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宙唄(そらうた)Writer Sorauta
私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。