『Society』・『グローバリズム』という『現代版ステルス封建社会』における99%以上人生『蟻地獄ゲーム』&生命の惑星における霊長類ホモサピエンスとしての社会生態系楽園と。
こんにちは。
宙唄(Sorauta)です。
いつも徒然なるままに「note」しています。
今回は『Society(社会)』ということから「note」します。
実は『社会』という日本語は明治時代になって使われ始めました。『Society』を日本語として適切に表現することはなく「浮世」や「世間」という概念で捉えられていました。
江戸時代、鎖国をしており、海に囲まれた島国の日本民族にとって「ソサイエティ」を意識することはなかった。
つまり『社会(Society)』と言う概念は19世紀『グローバリズム』によって持ち込まれました。
江戸時代後期に、欧米による摩擦が始まり尊王攘夷、明治維新後の文明開花と呼ばれる西洋化が始まりますが、それまでは日本民族独自の文化を形成していたと言えます。
これまでの「note」でも幾度となく言及してきたように、鎖国から開国へと変えた1968年から2025年の今まで、150年以上の時を重ねて「グローバリズム」の中心地へと『日本国』は変遷していきました。
そして因果の結果、オランダ東インド会社に端を発したグローバル資本主義は日本国そのものに成りました。
では「封建社会」は無くなったのか?立憲君主制、議会制民主主義主権国家。
国際区分する視点で捉えた時にはそうなる。
ただし、1945年終戦後に成立した日本国は「GHQ」によるもの
戦勝国である連合国最高司令部による日本の占領政策に因果を発して、1952年サンフランシスコ平和条約に至るまで7年間は統治下にあった。更に、ソビエト連邦と中華人民共和国はこの条約に批准しなかった。
以前朝鮮戦争の事について「note」したが、旧ソ連時代から日本とソ連の領土問題は解決しておらず、日本と中国の間には平和友好条約と共に積極的な外交は行われているものの、所属する「イデオロギー」と戦略の違いによる問題は新たに「グローバルサウス」などとの関係性へと拡大していっている。
朝鮮戦争によって、日本国は冷戦により資本民主主義陣営の強化を急ぐ欧米側に着く事で経済復興の特需の恩恵を受けてその後の経済成長期の基盤が形成された。冷戦構造の『アンカー』としての地政学的役割として『日本国』は機能して国際的な地位は高まっていった。
内需拡大とUSAとの貿易拡大は、二重の意味で日本の産業拡大を後押ししていった。元々欧米と渡り合う戦争を行った軍需産業技術は生活必需品や輸送手段へと転嫁され60−80年代の日本は産業工場といった状態だったが、中華人民共和国や大韓民国へとその役割はシフトしていった。
日本の経済成長を後押ししたものは生産物の需要供給拡大の中にあった。そして、グローバル資本主義の抜け穴として使われたもの、それは「金融」だった。
狭い国土に生活する日本国民はその稼いだ資本を「貯蓄」と「土地不動産」に宛てていた。そして成熟した理想的な資本主義社会制度を実現した国家は未だ存在していなかったが、日本は圧倒的な「世界メーカー」として内外の産業拡大のお陰で経済循環の原動力としていた。
社会保障費に充てる財源も、未来永劫生産業を中心に捉えていたのだろうか?
国民資産のほとんどを占める、貯蓄と土地不動産は日本国内の「円」や「住宅」だった。
巨大な貿易黒字は日本円の『円高』を生み出した。
自動車や、家電は使い捨て、売り切り商品であったために、今では当たり前な金融資本主義の根幹である「資本家」と「労働者」がそもそも何の目的であるのか?
多くの国民は「お金」「貯蓄」と言う形を取った。戦後焼け野原から復興し、労働によって高度経済成長を遂げた内需主導の貿易大国は「労働生産性によって国家経済を成立させた『社会主義実現』国家」の理想型だったかもしれない。
1989年、土地不動産など固定資産の是正策として公定歩合の急激な変更を数回に渡り実施。
これによって、不動産価格や市場は混乱に陥り、元々急上昇していた原因は貿易黒字によって有り余った余剰資金の不動産への流入であったために、国益には反していなかったものを国家金融の判断ミスによって経済自滅した。
ミスは止まらず、その後も本来国内市場原理に委ねるべき土地不動産による金融機関の不良債権処理に公的資金注入をしてそこに外国資本を導入する事によって、国内資産がグローバル金融資本家組織の餌食になっていった。
土地不動産が解体され、日本人が長年作り上げてきた産業も国際法の解釈や資本力が衰退した事によりM&Aされていった。
つまり現在の日本人は経済音痴で、グローバル資本主義に洗脳された売国奴ほど資産家や社会的地位にある。
「円安」「景気対策としての財政出動」は経済原理から見たら時間を重ねながら巨大化した禍根を残していく。
そもそも「国家」としての「日本国」にとって大切な事は「日本国」であるという大前提に立った基本的な意識を踏まえているかどうかにある。
「円高」=「国家に価値がある」
資源の少ない日本国にとって、円高を国家が是正する理由などどこにも存在していない。
「円安」で「一時的」な為替の上げ下げで儲かる輩を生み出して踊っているのは誰なのだろうか?
そしていつかそれが臨界点に達する時が来る。
本質は現実世界が存在する限り静かに、着実にこの地球人類社会の国家民族の未来因果へと向かっている。
それを見て感じているのか?或いは無視して空想に浸っているのか。
日本国の危機
それは「民族消滅」にある。
「移民」「外国人観光客」「外国資本」
今のままなら、この国土は乗っ取られて、日本国民はネイティヴアメリカンやマオリ族、アボリジニーの様な未来もあるかもしれない。
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2025年。
地球全体を見渡した時、バブル崩壊時の常識とは見違えるほど地球人類の常識は変容したと感じる。
たった30年程なのに。
それに伴ってホモサピエンスの人口爆発も継続している。
科学や社会が成熟した国々では人口が減少し、発展途上国は先進国の支援により平均寿命が伸びて、また出産数も増加する逆転現象が起こっている。
どれが正解なのかは、正直私には理解できる範疇の話ではない。
それでも銀河の風に吹かれて、太陽系は、地球は回っている。
ホモサピエンスとして、この地球に生まれてきたことは、この地球において二足歩行して他の生態系を活用共生しながら、現在の文明社会の中を生きられる事は、あらゆる意味で「奇跡」であり「幸福」でもある。
人類社会における「絶望」と自然生命体としての「奇跡」と。
人とホモサピエンスの思考や心は、いつも共存しながら「死生観」を生きている。
現在の相対的に最低限度の国民生活が、この素晴らしい国土の上で子孫繁栄されるならば、それは十分な『幸福』なのだろうと個人的には感じる。
ではまた!!!!