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旅路の笑顔に甘栗を

「一泊の休み、取れる?」

冬に向かい始めたある日の朝、珍しく母から電話がきた。

県北部にある民宿へ、解禁になったばかりの松葉ガニを食べに行かないかという。

「行く、行く!」

同じく二つ返事で賛成した妹と仕事の休みを合わせ、大阪と神戸それぞれの一人暮らしの地から帰省することになった。


♪とれとれ、ぴちぴち、カニ料理〜


関西人なら誰でも歌えるCMソングが、頭の中をグルグルと回る朝、実家に向かう高速バスに乗るために降り立った大阪駅で、目に入ったのは天津甘栗の売店だった。


「今日の帰省土産は甘栗だ!」


普段よりちょっと大きめの袋を奮発したのは、カニに引き出されたアドレナリンのせいだったのかもしれない。


実家についてすぐ、父が運転する車に乗り込み、およそ3時間のドライブが始まった。旅のお供は、あの天津甘栗だ。

袋を開けると同時に、いぶされた香ばしい匂いが一気に車中を満たす。

ぷっくりとふくらんだ栗の実はこげ茶色のテリをまとい、どれもつやつやとした輝きを放っている。


「おいしそう~!」

「こんなに山盛りの甘栗、初めてかも~!」

「いっただっきまーす♪」


栗に立てた爪が、わずかに力を入れただけでプチッと実まで届く。

それほど柔らかな鬼皮は、「むく」というより「めくる」と表現したいほど簡単に実から離れ、中からはやっぱりつやつやと輝く実がするっと現れた。

こうなるともう、やめられない、止まらない。


そんな私たちを横目に、ハンドルを握る父は冷静だった。


「せっかく昼ごはんも控えてカニを食べに行くんだから、ほどほどにしておけよ」


「別腹、別腹」と意にも介さず栗を口に運び続けるうち、あっという間に民宿へ。

目の前に海が広がる、こじんまりとした木造の宿だ。

通された和室ではすでに食卓の準備が整い、カニが運ばれてくるのを待つだけになっていた。


「お待ちしておりました。まずはお刺身からどうぞ」


仲居さんの笑顔と共に、刺身になったカニが目の前に供された。

目にした瞬間から、みずみずしさが口いっぱいに広がり始める。

プリプリとはじけそうな身は、水揚げされたばかりの新鮮さの証。

さすが、カニの王様と謳われる松葉ガニだ。


そんな刺身の皿が空かないうちから、蒸しガニ、焼きガニと次々に運ばれてくる。

想定外のカニ尽くしに狂喜しながらも、私たちは一抹の不安を感じ始めていた。


「ねえ、私、お腹がいっぱいかも……」

最初につぶやいたのは妹だった。


「うん。ちょっと食べすぎたかな」と私。


いちばん楽しみにしていた母も「お父さんの言うこと、聞いておけばよかった……」と悲しげにつぶやく。


そう、女性3人のお腹は、あの天津甘栗でほぼ満たされてしまっていたのだ。


「ほら、言ったこっちゃない。別腹じゃなかったっけ?」


おいしそうに次々と手を伸ばす父を恨めしく眺めながら、私たち3人はその後に続くカニスキも雑炊も、ほんの一口ずつしか楽しめなかった。


「大丈夫ですよ。残りのカニは全部冷凍にして、お持ち帰りいただけますからね」

ひそかに笑いをかみ殺しながら、フォローしてくれた仲居さんのやさしい声が、満腹のお腹に余計にせつなく染み渡った。


カニの季節が来るたびに、食べきれなかったカニと、天津甘栗をお土産に買って帰った私の失態を思い出しては、いつまでも笑い続けた母と私たち。

カニの思い出をつくるはずだった家族の旅は、天津甘栗が主役になってしまった。

その母は今、子どもに還る旅の途中にいる。


カニスキを囲むたび、食べすぎた甘栗を思い出し笑い続けていた母は、孫にほぐしてもらうカニの身を、ニコリともせず一心不乱に口へと運ぶ。


そうだ。母の旅のお供に、天津甘栗を買ってこよう。

あの日と同じ、笑顔が思い出になるように。(終)

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