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白球を彼と追え! 止まった心を動かした74日間


“I'm finishing!”
(俺が終わらせる!)

8回の投球を終え、戻ったダグアウトで発した言葉は、野球ファンの心を躍らせたセリフとして、瞬く間に世界を駆け抜けた。

7月27日(現地時間)、対デトロイトタイガース戦。9回裏2アウト。一瞬ひやりとしたセンターへのライナーは、外野手のグラブに美しく収まった。

“Shohei Ohtani goes all nine!”
(大谷翔平が9イニングを投げぬいた!)

アナウンサーのエキサイティングな声が響く中、メジャー初完投、初完封。驚くべきは、その45分後に始まったダブルヘッダーの2戦目。今度は打者として、2打席連続となる37号、38号ホームランを、スタンドへ着弾させる離れ業まで見せたのだ。

この日は早朝から、心ここにあらず。家事がまともに手につかなかった。

一球投げるたびに、味噌汁の味噌を溶く手が止まり、息子のお弁当を入れる時間も止まる。いつものBS放送は、こんな日に限って放映がない。

Twitterのタイムラインに、洪水のように流れてくる情報を、英語で日本語で、一つひとつ確かめながら、活躍にひとり歓喜した。

「大谷クンに、こんなに引き込まれるなんて。」

高校野球もNPBも、イチロー選手が海を渡ってからはMLBも。
確かに、昔から野球好きではあったけれど、まさかねえ。

そもそもの始まりは2012年、NPBドラフト会議を控えた秋の終わり、一人の高校球児の囲み取材を、テレビで目にしたことだった。

「アメリカでプレーすることを決めました。」

高校野球から、NPBをすっ飛ばしてメジャーリーグへ!?
なんて怖いもの知らずな、おもしろい男の子なんだろう。

それが大谷翔平選手だった。

誰もトライしたことのないチャレンジに、まだあどけなさの残る18歳の少年が果敢に挑もうとしている。嘲笑する人もいたが、私にはそんな彼がとても頼もしくまぶしかった。

そんな彼の夢は、前代未聞の投打二刀流を現実のものにしたNPB時代を経て、5年後にかなうことになったのだが、MLBチームへの入団発表の席で、真っ赤なユニフォームに袖を通し、瞳をきらきらと輝かせていた笑顔は、今も目に焼き付いている。

アメリカでの新人王獲得も、ケガや手術、厳しいリハビリ、思うように活躍できない日々の苦難に耐えた時期も、二刀流としての本当の素質がようやく花開いたときも、つかず離れず静かに見守って来た。

そう、静かに。静かに。

投手としてマウンドに上がる日は、打ち込まれはしまいか、四球を与えてしまうんじゃないかと胃がキリキリ痛み、リアルタイムでゲームを観戦できない……なんてことは決してなく。

打者としてバッターボックスに立つ時は、三振に倒れないか、死球でケガをしないかと心拍数が上がり、やっぱりリアルタイムで応援ができない……ということも、決してなく。

それが今では、胃が痛んで心拍数が上がり、時に仕事さえ手につかないほど一喜一憂しながら、MLBを観戦する日々を送っているのだから、このはまりっぷりには我ながら笑ってしまう。

そんな、自分でもあきれるほどの“大谷推し”のはじまりは、今春のWBC(World Baseball Classic)だったのだが、そこにはもうひとつ、私自身も予想だにしていなかった、あるきっかけがあった。

昨年の秋の終わり。認知症を抱え、施設で過ごしていた母が、80余年の旅を終えた。

夕暮れになると、わけもなく涙が出る。写真を見ても死の実感がわかないくせに、その一方で、心にぽっかりと穴が開いたような空虚感に、胸が締めつけられる。

「お母さんと、いい関係だったんですね」
「お母さんが、支えになっていたんですね」

そんな言葉をかけてくださる方も、たくさんいた。確かにその通り。でも、私の心の中を埋め尽くしていたのは、みんなが想像しているような「喪失感」や「寂しさ」ではなかったのだ。

私が抱え続けていたもの。

それは「罪悪感」だった。

最期の時を知らせる施設からの、真夜中の電話に気付けなかったことで、旅立ちを見送ってやれなかったことが悔やまれてならず、胸の奥に大きな鉛の塊が突っかえたまま、気持ちの重い毎日を過ごしていた。

あの時、どうして携帯電話の音量を大きくして、就寝しなかったんだろう。
なぜ元気なうちに、もっと寄り添って話を聴いてやれなかったんだろう。

そんな後悔ばかりが、どんどん心を侵食し続けていたのだ。

最期の時を看取ってやれなかったこと。たった一人で、旅立たせてしまったこと。罪悪感を拭い去るには、私は何をすればいいのだろう。どうしたら、許されるのだろう。

そんなある日、何気なくスイッチを入れたテレビ画面に映し出されたのは、栗山英樹監督と大谷クンの記者会見だった。

NPBで楽しそうに野球をしていた大谷クンは、すっかりたくましい青年になり、世界を代表するスーパースターに成長していた。

「あぁ、今年はWBCが開催される年なんだ。」

期間中、珍しく不振にあえいでいたイチロー選手が、最後にヒットを打って優勝を決めたゲームに胸を熱くした2009年以来、関心が遠ざかっている。

「久しぶりに、野球の応援もいいな。」

多忙を極めていた仕事が少し落ち着きを取り戻し、自由に使える時間が増えていたことも、気持ちが母へ向かってしまう原因のひとつだと、気づいてもいた。何かに没頭することで、少しくらいは気持ちを切り替えるきっかけにできるかもしれない。

そんな淡い期待もあった。

合宿が始まり、強化試合から予選リーグへと進むにつれ、世間はどんどん盛り上がっていく。普段あまり野球に関心の無い息子も、さすがにちょっと熱くなり、私と一緒に試合経過を追いかけるようになった。

「吉田ってさ、仕事しかしてないよなあ」
「村神様、頑張った~!泣ける!」
「周東って、なんでこんな足が速いん?」
「やっぱりトラウト、かっこいい~♪」
「栗山監督って、ほんまにいい人やなあ」

共通の話題で息子と話し込む時間は、案の定、現実から逃れるにはもってこいだった。最初は、半ば無理やり野球に集中していた私も、次第に心が自然と向かうようになり、日本が決勝リーグへ進む頃には、非日常の時間に没頭できるようになっていった。

そして決勝戦。

アメリカチーム最後のバッター、マイク・トラウト選手を、大谷クンが三振に打ち取るという、ドラマのようなエンディングに、涙。

それは、母を見送って以来、ようやく自分自身の心が動いて流れた涙だと気が付いた。選手たちが優勝トロフィーを掲げ、歓喜する様子を見ながら、彼らの喜びと感動を心の底から共有できた。

顔を上げ、進むべき方向を見上げるための、再始動への準備が私の中で整ったのだ。

後悔が消えたというと、ウソになる。罪悪感は抱えたままだし、贖罪への思いを形にする術も、未だ見つけられてはいない。それでも、現実として、事実として、冷静に、客観的に、きちんと受け止めることができる心を、取り戻すことができた。

今日も大谷クンは、大歓声を背に受けながら、凛としたオーラをまといバッターボックスに立つ。振り抜いたバットがボールをスタンドへ運ぶたび、私もまた少しずつ、元気を積み重ねていける気がしている。

「お姉ちゃんって、こんな大谷クン推しやったっけ?」

久しぶりにゆっくり出会えた妹が、今シーズンの彼の活躍ぶりを、熱く語る私の様子を笑う。

「あれ、知らんかった?」

「推しがいるって、いいよなぁ。」

「うん。いいよ、いい。」

「“いろんな”意味でね」と口を開きかけたその時、アイスコーヒーに浮かんだ氷が、カランと微笑んだ。              (終)



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