コロナから半年以上経ってー逃げずに現実と向き合い続けたいー
私は東京で生まれ育ちました。そして今は宮城県の南三陸町という小さな町に暮らしています。私の仕事は現場に足を運び、自分たちの目で見て耳で聴いて、触れ合うことに意義のある仕事だと思っていました。昨年独立して設立した会社も東京に設立しました。この二拠点生活かつ多拠点活動をライフワークにしていた私には、このコロナの打撃は生き方そのものを否定してきているような気さえする辛いものでした。昨日今日、オンライン上でですが、早稲田時代の仲間や先生、今の現役生たちの顔を見る機会があり、そろそろ恐れず前向きに動かなければと感じたので、今の気持ちを言語化すべく、ここに書き記します。
□地方で感じる動く者への警戒
コロナが広がってから東京にもなかなか行けなかった約半年ですが、震災後毎週通っていた南三陸町とはいえ、2017年に移住してからも含めて、コロナ後が人生で最も町内にいる時間が長い日々を過ごしていました。しかし、私は東京に実家とは別にマンションもあるし、独立した会社も東京の会社だし、仕事の関係で届く郵便物が溜まったり、宅配BOXにずっと入ったままで管理会社からクレームが来たり、「メーター変わってないですが大丈夫ですか」って水道会社とかから電話が来たりで、なかなか行けないのが厳しい期間が続いていました。
地方にいると、警戒心も強くなるから仕方ないことだけれど、挨拶代わりに「東京行ったの?」と聞かれることもあって、行っていなくてもどこか菌扱いされているような気持になって(もちろん悪気のない声かけなのは承知の上でですが私も気にし過ぎてしまっていたので)、実際は町を出ていなくても歩いていて警戒されている感じがしんどくなり、移住者なので心細くもなり、いろんな意味で町から出て行きたいと思うことが増えました。私は自分の仕事に誇りを持っていて、二拠点生活でのライフワークを成立させようと必死だったけれど、コロナにあらゆることを否定されたような気持になって、生きる意味さえ見失いそうな半年でした。
一方東京では、自分の家族も友人も、一生懸命コロナ対策のリモートワークやリモート授業に食らいつきながらも対策をしっかりして生活しているのに、まるでそのみんなのことすら警戒されているような気持になると、とても悲しい気持ちになりもしました。それでも、これまでの私を知ってくれている人たちが、気晴らしにと町内でできる息抜きや気の知れた仲間でのお出かけなどに誘ってくれたりして、ご飯を食べに行っても嫌な顔せず受け入れてくれたりもして、あとは農業のお手伝いに関わらせていただけたりして気分転換にも刺激にもなり、なんとか自分を保ってやってこれたので、感謝しています。
そんなこんなで、地方に暮らしながら東京に会社を持つことの難しさを感じた今年だったけれど、不要不急の外出自粛はできるだけキープしつつ、必要最小限の用事だけ済ませるために、最近は月1程度上京するようにしました。とはいえ、それで迷惑かけたくもいろいろ言われたくもないので、できるだけ新幹線を降りてから電車に乗らず歩いたり(頑張れば歩けるようなところにマンションがあったから良かった)、早朝とか平日昼時とか、人が少ない時間に移動できるように調整したり、家族にも友人にも会わないようにしたり、なんか言われたくないから上京直後しばらくはあまり町内も外出しないようにしたりとかなり気を付けて動いています。迷惑かけたくないのもあるけれど、嫌な目を向けられるのが怖いというのが正直なところですね。
□実際に東京に出てみて思ったこと
ただ、実際動いてみて言えることは、「気を付けている人と気を付けていない人の差」がはっきりあるなと感じているということです。新幹線は大分間隔あけて・・・というよりも前後左右誰もいなくて一車両に数名みたいは時間もあり、車掌さんも細かくチェックしに来たり、掃除や除菌対策も今までより時間をかけてしっかりやっていて、乗ってくる人たちも自ら除菌シートやスプレーかけていたりもします。もはや除菌車両状態で安心というより身体に悪そうなくらいの除菌臭の現実で、ちょっと気の緩んだ地方のお店とかより全然徹底しているから、むしろ安心な気さえするとうのが実感したところです。
もちろん、そういう中でも、マスクしていない人とか明らかに対策が甘そうな大衆酒場みたいなところに入っていく人もいるから、そういう人たちが広げてしまうのかもなと感じるところはあるけれど、気を付けている人は気を付けているのがよく分かるし、甘い人は甘いのが分かるという感じで、「東京=危険」と安易にレッテル貼って欲しくないな、というのが東京を故郷に持つ私の素直な気持ちです。
かくいう私でも、正直GoToトラベルで東京からもバンバン旅行に来たりすることは心配するし、小さな町にでも外からのお客さんが多いことは心配にはなります。自分だって、実家にすら帰るのがためらわれるわけですから、このコロナとの向き合い方やあらゆることの許容範囲のジャッジは難しいと実感しています。結局は、相手任せでもなく自己責任もしっかり持って動くしかないですよね。経済を回すだなんて大きいことは言わないけれど、少なくても南三陸町内でだって、出張をすることでお客さんを得て成り立っているビジネスもあるわけですし、なんでもかんでもNGとするのではなく、しっかり対策して可能な範囲で動ける環境が整うことが大事だと思います。
□早稲田同期が都内の学校で奮闘している様子を受けて
昨晩、私の大学院の同期で実際に中学・高校・大学と教えている教員でもある仲間たちとzoomでいろいろ話をしました。在学中から年に1回は旅行に行く仲間で、コロナ渦でも定期的にオンラインで話をしてきた彼らですが、今回はお世話になっている早稲田の先生も交えての「文学教育」をテーマにした意見交換のような場でした。普段もゆるいオンライン呑みのような感じでいろいろ語り合ってきて刺激を受けてきたのですが、今回は先生が一緒になることで良い意味での緊張感があって、いつも以上に仕事をしっかりしているみんなの様子を垣間見た機会になりました。
地方と東京の間でもがいている私のことを理解してくれている仲間たちと先生だけれど、実際に、東京の中で必死に生徒たちの安全を守ろうと神経すり減らしながら教育を必死に頑張っている仲間たちの話を聞いて、なんだか仲間の向き合っている現実に目頭が熱くなるような、いや、「なんか言われるのが嫌だ」と町内でも逃げ隠れしようとしていたような私がとても弱っちいやつに思えたような気がして悔しいような、そんな気持ちにもなりました。同期のみんなはかっこよかった。
彼らも必死で悩んでもがき、「しんどい」と感じていることもあるのだけれど、私の「しんどい」よりも誰かのためにもがいているしんどさで、私は私の弱さと向き合っているしんどさだったような気がしたんです。そして、私たちはこれからも感染症のリスクと向き合わなければならないけれど、一方で、教育もまちづくりも待ったなしに進んでいく世の中だから、立ち止まってもいられなくて、逃げずに現実を受け止めて前に進まなければならないのだと思ったのです。だから、今日こうしてこれを言語化しようと思いました。
□早稲田大学で「災害リテラシー」を考える
今日は、早稲田大学での「災害リテラシー」の授業をリモートでさせていただきました。2018年から早稲田大学での授業にちょこっと出させていただくようになりましたが、今回は初めてのオンライン授業でした。仕事の会議でzoom会議をすることはありましたが、大学の授業のzoomはそれとは全然違う感じでした。
まず、画面の向こうには約110名以上の学生がいるし、チャットもすさまじい速さだし、現場のテンポ感や空気感とオンライン上で学生たちと繋がる感覚はリアルとは違いました。やっぱりリアルで繋がりたいなという気持ちはあるけれど、不慣れな中オンラインで伝えようとする中で、実際に受けている学生側も「聞いているよ」という顔をしてくれることに、話している私が救われているような気がしました。
今日のテーマは「災害リテラシー」で、とはいえ私は答えを持ってきているわけでもなく、何か知識を与えに来ているわけでもなく、みんなが「災害リテラシー」と言われて何を学ぶのか(あるいは学ばされるのか)というイメージを覆しに行くような役割だと思っていきました。つまり、学問として座学をする意義ももちろんあるけれど、私は座学はほぼなくて、実践と人とのつながりと現場で得た教訓が今の自分に繋がっているから、学生たちに頭でっかちにならずに現場を知って欲しいということと、いざという時にリーダーになれるように、シンプルに、自分の長所を知ってほしいということを伝えに来たのでした。
初めてのオンライン授業にビビっていた私ですが、思っていたよりも何倍も、一生懸命学生たちが画面を見つめてくれている様子が伝わりました。リアルの時よりも一層、頷きや表情を見せてくれる様子が嬉しいと感じました。せっかく厳しい受験をくぐり抜けて早稲田に入学できたのに、サークル活動もままならず、新入生は友達もなかなかできず、地方からの進学や海外からの留学などで出てきてまだ慣れない一人暮らしをしている学生たちは、故郷にも帰りづらい中で必死に学んでいて、そんな姿も画面上から見ていると、私よりよっぽど必死に現実と向き合って食らいついているように見えました。リモートよりもリアルが良いと今でも思っているけれど、食わず嫌いみたいにやらず嫌いでリモートから目を背けるのではなく、リモートを使ってでもできる授業があるならば、やらないよりやっていかなければなと。それが、自己中心的な考えではなく、誰かのためを思って考えて出来ることではないかなと思えた体験でした。
この2日間の仲間たちや先生、後輩学生たちの顔を見て、私は自分の恐れている地方の目から逃げ続けるのではなく、もちろん最大限の感染症対策をしながらですが、自分のできること、自分の仕事や自分が地域でできることをもっとポジティブにやっていこうとじわじわ感じました。未来を切り開くためには、もがいて、トライ&エラーを続けていくしかないですよね。トライしたものにしかエラーは得られず、エラーしたものにしか次のトライは得られない。
今日の授業では、私の見てきた被災現場や私の体験した東京での3.11とは異なる、さらに課題として加わった「withコロナ」を想定に入れて、いざという時にどう行動するか、どういった「想定」ができるかを考えてもらいました。こうして想定を重ねていくことで、事後の「想定外」を減らすことが、自分たちや大切な人の命を守ることに繋がると思っています。画面の向こうのキラキラした学生たちの眼差しに勇気をもらって、私もできるだけの想定をしながら、安全を守ってトライを続けていきたいと思います。