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3作目「狐火の檻」

第1章:神社の伝承と主人公の動機

高嶺悠人は、桜庭奏を失った日から、まるで時間が止まったかのように生きていた。彼女の笑顔、声、仕草——すべてが脳裏に焼き付いているのに、触れることもできない。どれだけ手を伸ばしても、彼女の温もりは永遠に戻ってこない。

彼女との思い出は、あまりにも鮮明だった。大学のキャンパスを歩いた日々、二人で語り合った未来、寒い夜に手を繋ぎながら見上げた星空。そのすべてが、ある日突然、奪われた。

彼女がいない世界に慣れることはできず、日々の生活は色を失った。仕事も手につかず、友人たちの励ましの言葉すら空虚に響く。そんな時、ネットの片隅で「死者を蘇らせる狐火」の噂を見つけた。

「山奥の神社に伝わる狐火。その炎に願えば、亡くなった者が帰ってくる——」

信じられない話だった。だが、悠人の心には希望というよりも、すがるしかない絶望があった。もし、それが本当なら……もし、彼女にもう一度会えるなら——。

彼は迷うことなく、その神社を目指した。

険しい山道を車で進むこと数時間。ようやく辿り着いた村は、ひっそりと静まり返っていた。夕暮れに染まる古びた家々の間を歩くと、老人が軒先からじっとこちらを見つめていた。悠人が軽く会釈すると、老人は目を伏せ、何も言わずに家の中へ消えていった。

「……気味が悪いな」

人の気配はあるのに、どこか異様な雰囲気が漂っていた。そんな中、一軒の茶屋が目に入り、悠人は扉を開けた。

「いらっしゃい」

店の奥から現れたのは、和服姿の若い女性だった。彼女はじっと悠人を見つめ、「もしかして、狐火を探しているのですか?」と静かに尋ねた。

悠人は驚きながらも頷いた。

「どうしてそれを……?」

「ここを訪れる人は皆、そうです。でも、忠告しておきます。狐火に願いをかけることは、決して幸福をもたらしません」

彼女の声には、どこか悲しげな響きがあった。しかし、悠人の決意は揺るがなかった。

「それでも構いません」

彼女はしばらく沈黙した後、ため息をついた。

「……それなら、神社へ向かう道を教えます。ただし、途中で何があっても決して振り返ってはいけません。振り返れば願いは叶わず、あなた自身も二度と戻れなくなります」

悠人は戸惑いながらも、彼女から神社へ続く山道を教えてもらい、礼を述べて店を後にした。

山道を歩き始めると、空は次第に暗くなり、周囲を深い森が包み込んだ。木々の間からは、不気味な囁き声のような風の音が聞こえてくる。ふと、背後で落ち葉を踏む音がした。

(誰かいるのか……?)

悠人は思わず振り返りそうになったが、店の女性の言葉を思い出し、ぐっと堪えた。しかし、次第に音は近づき、耳元で囁くような気配を感じる。

何と言っているのかは分からない。しかし、その囁きには、どこか聞き覚えのある響きがあった。悠人は歩き続けながらも、振り向かなければならないような衝動に駆られる。

森は次第に深まり、足元には奇妙な石碑が点在し始めた。それらはまるで何かを封じ込めるかのように、不規則に並んでいる。

「これは……?」

悠人は呟いたが、その答えを知る者はいなかった。

冷たい汗が背中を伝う。悠人は歩を速め、やがて鳥居の前に辿り着いた。そこには、古びた神社が静かに佇んでいた。

扉を押し開けると、神社の奥に小さな祭壇があり、そこには青白い炎が揺らめいていた。それこそが——狐火だった。

「……これが、奏を蘇らせる炎……」

悠人は息を呑み、そっと手を伸ばした。その瞬間、背後から低い声が響いた。

「待ちなさい」

振り向くと、そこには神職の装束を纏った女性が立っていた。彼女の瞳は鋭く、悠人を射抜くように見つめていた。

「あなたが……巫女?」

「そう……あなたが探しているものも知っている。でも……願ってはならない」

悠人は拳を握りしめた。

「それでも、俺は……!」

その瞬間、狐火が揺らぎ、青白い炎が大きく膨れ上がった。悠人の決意に呼応するかのように、炎は激しく脈打ち、神社の空気が張り詰める。

巫女はその変化を見て、はっと息をのんだ。

「……儀式が始まった……」

彼女は深いため息をつくと、狐火の前に立ちはだかった。

「……儀式はすでに始まってしまった。私の役目は、それを見届けること……止めることはできない。」

悠人は息をのんだ。巫女の言葉とともに、狐火の揺らめきが一層激しさを増す。胸の奥で警鐘が鳴るような感覚が広がるが、何が起こるのかはまだ分からない。

巫女の声は静かだが、確かな圧を持っていた。

四方を包む静寂の中、悠人の心臓の鼓動だけがはっきりと聞こえる気がした。喉が渇き、息が詰まりそうになる。

悠人は震える声で呟いた。

「……奏、帰ってきてくれ……」

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