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マギさんのTPS(ターニングポイントストーリーズ)

 人生にはターニングポイントがつきもの。変化の時には違和感を感じるものである。それをどのように受け入れ、前に進んでいくか。マギさんの一歩ずつ静かに進む姿勢。そんなストーリーをご紹介。


 生まれた時から異質な存在だった。
 髪が縮毛なのだ。両親、兄弟も普通にウエーブの髪。両親はそんな私に対して申し訳なさでいっぱいの様子だった。一方私はというと、「自分で決めて生まれてきたのだから、これで良いのだ」と幼心に思っていた。
 ニングルという、森の精霊を知っていますか?子どもの頃のわたしの髪はまさに、ニングルの様であった。それでも子どものころはよかった。田舎に住んでいたし、お互いがみなを知っている、そんなコニュニティーだった。
しかし中学生ぐらいになってくると、お互いに見た目が気になってくる。可愛かったり、人気者だったりする子とみんな友達になりたい。アフロの髪の私とは、友達だとは思われたくないのだ。
 それでも私は、こんなことでへこたれていてはならない。鉄の心をもって、自分の弱い心の声を聴いてはならない、そう思うようになっていった。しかし、人の目線が私の髪に向かっていることを察知するようになり、過敏に反応するようになっていった。
 中学のとき、少し不登校になった。
 高校からは、義務教育ではなかったので、学費がかかっているのは知っていたのでがんばって、通っていた。両親は、都会への大学進学を許してくれたし、あと3年頑張るぞと思っていた。

都会へ
 そして、大学は田舎から離れて、都会の大学へ。都会に出ると、私の髪に対してそれほど気に留める人は居なかった。特に大学はいろんな人が来ていた。なので、以前よりも居心地よく過ごすことができるようになった。
 しかし困ったのが就職活動。どんなにきれいにスーツを着ていても、みんなの目が向くのは私の髪だ。受けても受けても、受からなかった。そんな私に転機がきた。

 ある福祉関係の面接会場で、ど!ストレートに「あなたはウィッグを被った方がよい。でないと受からないわよ。」びっくりした。今までそんなこと言われたことがなかった。初めてだった。当時はまだまだウィッグも、多種類ある環境ではなく、むしろ『カツラ』という存在だった。しかし、実際にその人が言うように、面接を受けても受からなかった。だから、かぶってみるしかないと思った。


ウイッグ
 しかしながら、かぶった時は、違和感だらけ。『これがほんとの私なのだろうか』、まるで印象が違う。面長の顔に丸い目。
ウイッグをかぶって町に出た。やっと人間になれた気がした。コンビニの店員は私の髪を見ない。電車内で座っていて、座席の両サイドが空かない。服を何気なく見ていて、店員さんが声をかけてくれる。いずれもウイッグ以前にはなかったことだ。そういうことなのだ。これが普通の人と人との接し方なのだと生まれて初めて気がついた。
 その後就職して、現在はショートステイの介護職に従事している。ショートステイとは、ホテルみたいに何日か宿泊したら自宅に戻る。その間お世話をさせていただく仕事だ。

 看取りへ

 しかし、私は看取りに立ち会うことがなぜか多い。その瞬間に立ち合わせて頂けるのは、偶然ではなく、その時その場にいる限られた人の中でも、亡くなる人に対して、”悲しい寂しい”とか”可愛そう…”という気持ちだけではなく、少しでもその人の理解して、「良く頑張りましたね!」と労い、最期をキッチリ送ってあげられる人が選ばれているのではないか、と思っている。
 施設のリピーターの方々で普段から馴染み深い利用者さん。
 旦那さまは体調が悪く入退院を繰り返しておられた。
 看取りのあった日は、病院から退院して、うちのショートステイに入所した当日の夜だった。廊下を挟んで、夫婦で別れて過ごしている。旦那さまが「世話になってすまん。こんなになっても優しくしてくれて、ありがとう。」と言って下さった。そしてその夕方、体調が急変していった。奥様も認知症傾向があり、熟睡しておられた。他部署から看護師さんが応援に駆けつけてくれた。しかしながら息を引き取られた。
その場にいた私は、亡くなられた旦那さまの手と、奥様の手を結んだ。

無題

その瞬間、私の中で小さな悟りが起こった。
 旦那さまの大往生を心から労い、無事に天へ戻ることを祈るとともに、残された奥様の幸せを祈っている自分。また、私の中で答えが見つかった思いでした。

 介護職として看取りは数回あったが、夜勤一人の時に対応するのは初めてで、私は介護職だし医療的な専門スキルはない。「何も役に立てない」と思っていた。静寂の中のひと時は、とてつもなく深淵で、崇高で。そのひと時を大切に思うからこそ、私は立ち会わせていただけている。
 今まで髪の毛で苦労して生きてきて、更に大変な思いしてまで介護職をして来たのは、この役目をさせて頂くためだ。命の尊さを本当の意味で理解するため。
 介護の仕事をすることで、ヒトの人生の後半に関わらせてもらい、人生とは何か?幸せな最期とは何か?を、身を持って学ばせてもらっている。今回は先立つ人の看取りをする側ではあったが、実は後進を生きる自らの人生のヒントを受けとる側でもあった。
 今日は有難くも、そのヒントを授かった。

繋ぐ
 私は節目に立って繋ぐ役割。どちらか一方だけとか偏りがあってはダメ。たとえ自分の属性が分からず、寂しさを感じようとも、常に中庸であるべき。これを体現するのは本当に難しいけど。
 そうしていると、忘れ去っていた、過去の自分の夢が思い出されて、現在の自分とも『繋』っていく。

幼稚園〜小学生の頃の夢は獣医師orお花屋さん。
動物や植物と人を繋ぐ仕事。

中学の頃の夢は神主さん。
神社を通じて、神様と人を繋ぐこと。

高校生の頃の夢は日本語教師。
日本語を通じて海外と繋がること。

 大学生の頃は特になかったけど、それまでの夢に近づける何かになりたかった。
 現在の介護の仕事についたのは成り行きで、何か崇高な理由があったわけではないけども、形は違っても、人と人を繋ぐ役割をさせてもらっている。(高齢者と家族、地域とか)
 髪の毛を理由に、自分の世界を狭めて夢を忘れていたのは私。初めから、私は私の本音を分かっていたんだ。きっとこの先、職業を変えても根本的なところは変わらない。
 人と人、何かと何かを繋ぐ役割をして行きたい!

 しかしながら、私は人間嫌いで話すのは苦手。
 最近少し緩和されたばかり、まだまだ課題は山積み。ギャップがすごくて卒倒しそうな時もある。それでも、自分の変化を楽しみながら、ゆっくり前へ進もう!
 やっと覚悟が出来た。


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