なんのために本を集めるんだろうか

小説が好きだった。
まあ、今も好きだけど、好きになったのは中学生のときだった。
湊かなえ、東野圭吾、辻村深月、住野よる、なんてよくある作家の本が図書室に入るもんだから、毎日通って、借りては返して、中学生にしてはかなりの数を読み漁った。クラスに友達は多くなかったし、図書室で出会った数少ない友達は本を読む人というだけで信頼できる気がした。休み時間に図書室に篭ったり、教室でも隅っこで本を読んでいるようなそういう優等生キャラな自分が好きだった。誰かと本屋に行って、話題の本が並べられているときに「これもこれもこれもこれも読んだ」と言うのも楽しかったのだ。

僅かなお小遣いの中から本を買ったりもした。新人作家の本であれば、微力ながら支援したいという気持ちで新品を買ったし、ベテラン作家の本であれば、ブックオフで100円の掘り出し物を見つけていた。そんなのが数年続けば少しずつ部屋の本棚にはコレクションが増えていった。同じ本を何度も読むタイプではなかったけれど、部屋に置いておくことに意味があった。メンタリストDaiGoの配信部屋みたいな本棚の壁に憧れもあった。また人を家に呼んだときに、本棚を見せて「こんな本も読むんだ!」と思ってもらうのもまた痛快だった。村上春樹とか。逆にラノベとか。

それが今はどうだろう、読んだ本を自慢する相手もいないし、集めた本のコレクションを見せる相手もいない。Twitterに載せたところですぐに流れてしまうだろう。そして同じ本を繰り返しては読まないという方針も変わっていない。

今でも教養のため、寂しさを埋めるために本を読むことがある。小説以外の、実用書にも手を出すようになった。勉強になるし、読んでいるのはそれなりに楽しい。

昨日、何気なくブックオフに行った。流行りの本のコーナーに行くと、つい先日読んだばかりの本がいくつかあった。それらは高額買取の対象だった。仮にそれらを売った場合いくらになるか軽く計算した。もちろん大金というわけではないけれど、数冊の新刊が買える金額でもあった。どの道いつか処分するのなら、という気にもなった。

煮え切らない私がいた。確かに価値のある一冊だった。この本を読んだ自分が好きで、この本を読んだ証拠として部屋に置いておきたい。しかし、誰に向かって証明し、誰に向かって本棚を見せびらかすのだろうか。どうせ売るのなら、最初から図書館に行けば良かったのではなかろうか。

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