無意味なことに意味が生まれ始めるとき、幸せと呼んでいいのではないか
無意味なことに意味が出始めた時が理想的な関係なのではないかと思う。
仲が良くない人とは無意味な会話をすることはない。
ダル絡みは意味のあるやり取りではないから、知り合って間もないころ、心に壁がある時には冷ややかな対応を受ける。
これが許されたり楽しめたりするのがまず家族である場合が多い
そして友達、恋人。
一見意味のないやり取りが心の距離を縮め、安定させる役割を担っている時、最も理想的な人間関係が保たれているのではないだろうか。
だからといっていきなりダル絡みをしては単に距離を遠ざけるだけ。
仲良くなるためにダル絡みをするのか、仲がいいからダル絡みをするのかでいうと、これは後者が正しい。
だからダル絡みを低俗なものと突き放すのではなく、なるべくたくさんの人とダル絡みができるようにしていくことが、幸せの総量を増やすための一つの方法なのではないかと思う。
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