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何を書くか、誰が書くか
何を書くか、自分の伝えたいこと、それがない時は全然手が動かない。
私には文才がない。新聞の紋切り型は理解しているつもりでも、自分がそれを書けるとは別の話だし。たまに、文章によって滲み出る雰囲気というものを感じることがある。
あれは、「誰」が書くかなのだろうか。それとも「何を」書くかなのだろうか。少なくとも、私の文章は雰囲気など出せていないだろうと思う。
インターンシップで模擬取材をすることが多かった。大抵、記者に見せたりグループで読みあったりするわけだが、「うわ、なんかめっちゃ優しい文章やん、すごい」と思う人がいて。そういう人に出会うたびに羨ましく思っていた。読んでいて、心がほっとする、といえばいいのだろうか。すべてを包み込んでくれるような。
メールの文面も同様で、送り先の相手を知っているからだろうか、その人の雰囲気が文体にも出ているような気がする。エッセイを読んでいる時も、筆者のイメージ像を勝手につくってしまう。
日記なり、作文なり、自分の書いた文章を読み返してみるとどうにも稚拙な感じがして苦手だ。今も昔も成長していないように思う。
これは語彙が少ないからだろうか。私の心の豊かさに依るものだろうか。
伝えたいことがあった時に書きなぐる文章(日記)は後で読み返しても鮮明に思い出せる。だけど私の書いた文章は普通。
私も文章の端々から、自分の雰囲気滲み出せたらいいな〜とか
だれかに伝わったらいいな〜とか
そんなことを深夜に考えている。