「男/女らしく」って要る?
こんにちは。あすぺるがーるです。
ここ数日、TLを湧かせているのが…
プリキュア15年の歴史の中で初の男性プリキュア、キュアアンフィニの誕生です。
「プリキュアは女の子がなるもの」という固定概念を一掃するような内容の放送は、まさに歴史的と言えるでしょう。
キュアアンフィニこと若宮アンリと、愛崎えみるの兄、正人の対話は、現代における「男/女らしさ」の考え方をリードするものとなっています。
今日は、アンリと正人の対話を紹介しながら私の考える「男/女らしさ」についてお話しようと思います。
アンリと正人の価値観
私はあいにく本編を見ていないので、登場人物やストーリーの紹介はPixiv百科事典の要約です。予めご了承ください。
アンリについて
若宮アンリは、輝木ほまれ(キュアエトワール)のスケート繋がりの旧友で、世界的に有名なプロスケート選手として活躍しています。
他人が悩み苦しむのを見ていられないお人好しであるゆえに、ジェンダー差別を見かけると周囲の空気を鑑みず反論し、独善的に見られることがよくあります。
しかし、相手が面と向かって言い返した反論を理解しようとする柔軟性も持っています。
アンリは性自認は男性ですが、自分に似合う服ならレディース・メンズに関係なく着ます。
なりたい自分に限りなく素直で一方的な押し付けを嫌うため、「男らしさ」「女らしさ」を定義づけようとする世間の目線を下らないと一蹴しています。
正人について
愛崎正人は、愛崎えみる(キュアマシェリ)の兄で、一見すると礼儀正しい好青年です。
しかしジェンダーに関しては「男は男らしく、女は女らしく」という偏狭な考え方で、「女には理性・積極性・リーダーシップはいらない」という男尊女卑的な考えも持っています。
それを思っているだけならまだいいのですが、近しい人たちが自分の性的価値観に見合わない行動をすると「善意で」警告するので、セクハラ的で上から目線です。
えみるに対しては「自分が好む可愛いお人形」であってほしいと考えるため、さらに高圧的な振る舞いをします。
趣味であるエレキギター演奏を「女の子らしい可憐さや可愛さがなく、家風にも合わない」という理由だけで否定するため、正人の存在はえみるにとって強いプレッシャーとなっています。
二人の価値観の転機
えみるは、アンリに誘われて「女の子もヒーローになれる!」と銘打ったファッションショーに、ルールーと共に出演しようとしました。
しかし正人は…
「女の子はヒーローになれない…女の子は守られる側だからこういうのは止めろ」
と言って、えみるを無理やり連れて帰ろうとします。
それを止めに来たのが野乃はな(キュアエール)とアンリでした。
「誰の心にヒーローはいる!人の心を縛るな!」
はなは激怒。
アンリのドレス姿にもあからさまな侮辱を向ける正人ですが、アンリは
「だから何?ボクは自分がしたい格好をする。自分で自分の心に制約をかける…それこそ時間…人生の無駄!」
理路整然と反論しました。
そんなアンリに正人は何も言い返せず、その場を去りました。
えみるを連れ帰るのに失敗した正人は、ジェロスによって悪役・オシマイダーの素体にされてしまいます。
正人を素体にしたオシマイダーは、ドレス姿のアンリを人質にしようとしました。
アンリはそのオシマイダーが自分のことを恐れ怖がっているのを見抜き、
「そうか、キミも苦しいのか。ごめんね。ボクはキミのために自分を変えられない。キミも自分の心をもっと愛して」
とオシマイダーをハグしながら言いました。
オシマイダーがプリキュアに浄化されたのち、正人は自分の考えを一変させ、えみるの趣味も受け入れるようになりました。
多様な性が受け入れられるには
「男/女らしさ」の押し付けはいけない
私もアンリと同じように「男らしさ」とか「女らしさ」を押し付けるような行動は嫌いです。
なぜなら、私は「女らしく」振る舞うのはとても苦手だからです。
「女らしさ」として要求されること(料理・ヘアメイク・ファッションetc)には手先の器用さを求められることが多いです。
そのため「女らしさ」は、あまりにも手先や身体の動きが不器用すぎる私にとってハードルが高すぎるものなのです。
内面的にも、いつもニコニコなんてしてられないし、気配りとかどう逆立ちしても下手くそだし、「おしとやか」とか「色気」に関しては「何それおいしいの?」としか思えません。
なので「女らしさ」を求められると精神的にだけではなく、物理的に生きづらくなるのです。
そのためか価値観も他の女性に比べたら、いわゆる「男性的」と言われるようなものかもしれません。
でも私はそれでいいと思っていますし、それは私から他の人に対しても言えることだと思っています。
私は他の誰とも同じではないから、他の人だって私と「同じにならない」権利があると思います。
そのため、「男らしさ」「女らしさ」をはじめとした「みんな違ってみんないい」を壊すような価値観の押し付けは大嫌いだし、周りの人にもそうあってほしくないと思います。
差別する側にも「事情」はある
ただ、差別される側には本当に受け入れ難いことですが、差別する側にも何一つ考えがないかというと、そうでもないようなのです。
正人もそうです。
愛崎兄妹の祖父が大変厳格で保守的な人物であることが正人の口から語られており、どうやら彼の思想は祖父の影響を受けている模様。
『アニメージュ』で語られた設定では、正人は愛崎家の跡取りとして祖父に期待されて育ち、両親が自由人かつ放任主義のため「大人にならなくてはならなかった」というバックボーンが明かされている。
どうやら正人は「妹を自分の好みの女子像に押し込めようとしている」という自覚は全くないようで、そうではなく妹が誰からも愛される女の子になって欲しいと考えているだけのようだ(両親があまりにもぶっ飛んでいるあまり、妹には世間から白い目で見られないまっとうな人間として歩んでほしいのかもしれない)。
もちろん、だからといって差別的言動が許されるわけではありません。
しかし、自分より「力のない」立場の人間からの教えに逆らうことは、誰にとっても決して簡単なことではないのです。
差別を改められない男性も、女性からすれば「力がある」かもしれないですが、自分より「力のある」男性に対しては無力だし、被害も被り得るのです。
ここで、男女差別について興味深いスピーチを見つけたので紹介します。
逆に言うと、今の男性は
「男女平等になったことで『昔の男性』が作り上げてきた社会制度や風習の皺寄せを受けつつ、自分が馴染んできた社会を変える必要に迫られている」
とも言えるのです。
このスピーチで言うように、性別による差別が改められれば差別していた側にもメリットが及ぶのですが、「差別が大きかった」過去の重さは、決して軽くはないのです。
全ての人にとって。
必要なのは「受容」と「尊重」
では、私たちはどうすれば性差別をなくし、多様な性別が受け入れられる社会を作れるのでしょうか。
答えは、アンリの台詞にあると思います。
「そうか、キミも苦しいのか。ごめんね。ボクはキミのために自分を変えられない。キミも自分の心をもっと愛して」
アンリは、自分を変えられないことを表明しながらも、正人の苦しみや正人自身を受け入れ、尊重しようとする態度を示しました。
自分は変えられない。
自分が大切。
それはそれで、いいのです。
でも他の人だって、
自分は変えられない。
自分は大切。
そう思っていることでしょう。
そして何より大切なのが、
自分と他人は、違う。
自分と他人の考え方や感じ方も、違う。
自分には自分の、他人には他人の幸せがある。
自分には自分の、他人には他人の苦しみがある。
これを認識、実践することです。
キュアアンフィニの「アンフィニ(Infini)」はフランス語で「無限」という意味だそうです。
全ての人が「男らしさ」とか「女らしさ」から解放され、「自分らしさ」を生かし活躍できる社会は「無限」の幸せを生むことでしょう。
そう、キュアアンフィニのように。
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あらすじ出典
HUGっとプリキュア第19話感想ネタバレ ブルゾンちえみ…ジェロス登場のえみルー回!