「女性」であるということ
こんにちは。あすぺるがーるです。
今日は、信田さよ子さんの「母親からの解放」の考察の最前提として、今の日本で「女性」であるということが何を意味するか書いていこうと思います。
自分観の性差
本来、男性に生まれても女性に生まれても、その人は男性/女性である前に、ひとりの人間であるはずです。
しかし、様々な要因によって自分を「人間である」と捉えるか、それとも「(性別) である」と捉えるかに性差が生まれています。
男性の自分観
男性は自分が「男性」である前に、ひとりの人間として自分をみなしています。
男性の皆さんに問いかけます。
もし女性の方から「あなたも性犯罪者と同じ男性ですよね?」と問いかけられたら、何と答えますか?
信田さんによると、この問いに関する男性の回答には、以下の傾向があるそうです。
「ええ? そうですね、同じ男ではありますね」と冷静に応える男性は、相当深く考え抜いてる人です。
多くはその質問をされたことに驚き、「あいつら、人間じゃないですから!」と声高に性犯罪者の男たちをまず「人間」という分類から外そうとします。人間でない (獣とでも言いたいのでしょうか?) 性犯罪者対人間である自分、という構図に持っていこうとしているのです。(P.197)
このように、多くの男性は「自分は人間である」ということに確固たる自信を持っています。
女性の自分観
女性の場合、「自分は人間である」という意識が男性より少なくなるそうです。
けれどもなぜか女性は、自分が人間であるということより前に、まず女であることを意識しなければなりません。そうしないと生きづらい場面があまりにも多いのです。人間ということを覆い隠すように、女というジェンダー (社会的につくられた女らしさ) が貼りついているのです。(P.196)
女性は夜道を歩くとき、満員電車に乗るときなど、様々なシーンで女であることを意識させられます。それは強制されると言っていいでしょう。絶えず、被害を受けるかもしれないという防衛体制を崩せません。それでいて被害に遭っても、油断していたからだ、抵抗しなかったら同意していた、隙があった、スカートが短すぎた……などなど、バッシングされてしまうのです。(P.198)
男性に太刀打ちできるほどの体力がある女性の方、もしくは心は女性でも体は男性の方だったら、話は別かもしれません。
しかし、そうではない大半の女性は、男性に襲われたら、まず太刀打ちならないでしょう。
そのため、多くの女性が、自分を男性と対等な一人の人間として認識できることなく過ごしています。
性別と人間の関係
伝統的な「性別と人間」観
アメリカ独立宣言の序文はご存知でしょうか?
We hold these truths to be self-evident, that all menare created equal…
我々は以下の事実を自明のものと考える、人はみな平等に作られている…
この文章では、「人」に「men」という単語が充てられています。
「men」には「男性」という意もあります。
──そう、女性や奴隷は「人間」に含まれていなかった時代があるのです。
今では、建前上は奴隷制度は無くなり、女性も「人間」として扱われるようになりました。
しかし、本当のところはどうなのでしょう。
あるべき「性別と人間」観
聡明な読者の方はお気づきかもしれませんが、そもそも、人間の精神性を生まれ持った体の性別で男性と女性に分けること自体に無理があるのです。
私は、性別はカラーホイールのようなものと考えています。
カラーホイールは、〇と|の位置を動かすと、多様な色を選択できます。
〇の位置をほんの少し動かしただけでも、全く異なる色になります。
生物学や生殖医学などの進歩によって最近明らかになってきたことは、実は完全な男や女はいない、性別も多様である、といったことです。
さらにもっと複雑なのは、身体と自分の性別の意識が必ずしも一致しないということです。(P.36)
そのため、男女だけではなく全ての性別の人が「男性」や「女性」としてではなく、「人間」として扱われなければいけないのです。
それは必ずしも、個人の身体の性別を考慮しないということではありません。
科学技術は日々進歩していますが、体の性別を決定づける「身体の設計図」もとい遺伝子を書き換えることは、いまだに不可能です。
つまり、身体の性差によってどんな不都合が起きたとしても、その分だけ遺伝子を書き換えて不都合を回避することはできないのです。
そのため、男女平等、いや「万性平等」を実現するにあたって、個人の身体の性別を考慮することが怠られてはなりません。
撤廃を求められているのはあくまでも「身体の性別に関係ない性差別」、つまり歴史のなかで堆積したジェンダーロールの押し付けなのです。
(Interaction Institute for Social Change より)
左の「EQUALITY」の状態ではなく、右の「EQUITY」の状態が全ての性別において達成されることが、誰もが「(性別) であること」で苦しまない社会に必要なのです。
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