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授業でセクマイ差別を見た話

こんにちは。あすぺるがーるです。


今日はタイトルの通り、大学の授業でセクシャルマイノリティーへの差別的言動を目撃してしまった話をします。


授業について

差別的言動を見てしまった授業は、全学必修の英語の授業でした。

必修でしかも、この授業の単位を持ってないと来年度の英語に関する授業が受けられない、という仕組みになっています。


学科に関係なく幾多のクラスに振り分けられたなか、私のクラスの先生は、英語を話せるようになることに重きを置く先生でした。

そのため、その英語の授業では毎回、1分間スピーチが課せられていました。


1分間スピーチのお題は、日本に来た外国人に日本文化を紹介するというテーマに沿って決められていました。


10±3語ほどの英文を3文話すことさえできれば、難なくこなせるような課題です。


とはいえ正直のところ、1文話すのもやっとな生徒が大多数のため、スピーチは先生との問答形式で進められていました。


問題の言動について【閲覧注意】

その日の1分間スピーチのお題は、

「東京でおすすめの場所を英語で紹介する」

というものでした。


真っ先に1つ思いついた場所があったのですが、それを言うと私の別アカが知れ渡ってしまうでしょう。

クラスメートだけならまだしも、よその学科の人もいる中で、それだけは避けなくてはいけませんでした。


考えに考えて私が紹介することにしたのが、

「新宿二丁目」

でした。



実際、新宿二丁目に行ったのはこの1回だけですが、とても楽しく過ごすことができました。


多様な人と話せる場所。

全ての人が平等に扱われる場所。


これなら心置きなく話せる、と思いました。



⚠️この先、セクシャルマイノリティーの方への差別的表現が含まれるため、そのような描写が苦手な方は閲覧しないことを推奨します。







しかし、その期待は呆気なく裏切られました。


「The city I think you should go in Tokyo is Shinjuku 2-chome.」

(私が東京で行くべきだと思う場所は、新宿二丁目です)


この一文を言った、まさにその瞬間。



「Woooooow!! Shinjuku 2-chome!?」

(えぇーーー!! 新宿二丁目!?)


先生は、私がまるで虎の穴にでも行ってきたかのような驚異と、セクマイへの偏見を含んだ口調で、私の話を遮ってきました。


そのあまりのリアクションの大きさゆえ、私はパニックを起こしてしまいました。



その後もパニックのあまりトンチンカンなやり取りをした挙句、何年前に行ったかを問われているとようやく分かったとき、

「When I was 20 years old.」

(20歳のころです)

と答えてしまい、聴衆の生徒まで大騒ぎ。


忘れもしないはずだった、「本来、大学1年生に20歳以上の人間はいないものとされている」 という前提を、忘れて発言してしまったのです。


私への影響

英語の授業は、火曜日の午後でした。

しかし、それから数週間して、火曜日の午前中に体調不良が相次ぐように…



季節の変わり目も相まって、私は英語の授業を3回休んでしまい、完全に浦島太郎状態に。



出席の重んじられる授業でした。

英語が得意だったので、期待もされてました。



もう、耐えられませんでした。



必修でありながら、私はその授業を蹴ることにしました。


ふと思い出した、大切な事実

私は最初、英語の授業への身体的な拒絶反応が出たのは、話すことへの向いてなさゆえだと思っていました。


確かに、私は読み書きより会話が著しく苦手で、それに英語という条件が加わると、日本語よりハードルが高く感じるのは事実です。



しかし、ここ数日で、私はそれよりもはるかに重大な事実を思い出しました。


発達アカの中で、最も親しい友人の一人。


もう二度と会えなさそうな、前好きだった人。



どちらも、ゲイです。



時はもうすぐ、期末テスト。

違うクラスの英語の授業の期末発表の班分けの写真が、クラスLINEに流れました。


その時、私はようやく傷つけられたものの大きさに気づいたのです。


さいごに

ショックのあまり、私はこのことを同期のうちの何人かに明かしました。


隣で授業を受けていた、私と一番近しい同期 (女子) も、身が凍る思いをしていたそうです。



サムネに描いた 「SEP」 は、英語圏のネットで用いられる 「somebody else's problem」 の略語。

これは、「他人事」 という意味です。



つまり、サムネの文字の意味は、

「No somebody else's problem」

「他人事ではない」 、という意味です。


セクシャルマイノリティーの存在は、誰にとっても、決して他人事ではありません。



オープンにしていないだけで、あの空間にゲイの子がいたかもしれないのです。


もしそんな子がいたら、どれだけ傷ついたことでしょう。



セクシャルマイノリティーに限らず、特定の属性の人間への差別的発言は、いかなる場所でも慎まれなくてはならないのです。



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