推し活とhappy things
日常生活の中で「あえて」ポジティブなhappy thingsを拾っていく。1月10日まで集中的に。あと13日かぁ。
以前にも書いたがhappyを拾おうとした時に11歳の息子に意識を向けると、ものすごく簡単になる。なるほど。これが推し活なんだと思う。推し活というのは、自らhappyを拾いにいく行為なのでは。そういう意味において、人生に大好きな人たちがたくさんいればhappyな瞬間を生み出すネタに事欠かないのだ。ペットなどその極みだ。
私は読書好きだけど、大好きな作家の新作が出ると心が躍る。今年1年もどれだけの本を購入したかわからない。断捨離しようと思っているのに、家が人間というより本のためのスペースになっている。本を見るとワクワクする。図書館や本屋は我がパワースポットだ。
幸せはそこらじゅうにある。それを丁寧に拾って過ごすか、見過ごしながら過ごすか、その選択はいつも私にある。ありとあらゆることが愛おしい。さらにわたしは「笑い」を愛しているので、笑いが加算されると幸せが増幅する。言葉のセンス、感性のセンスに嬉々として心が動く。
気付けば幸せ体質だ。いや、そんな生ぬるいことばでは言い表せない。私は幸せモンスターなのでは。筋肉を鍛えるようにhappyの感度を鍛えてきた。今回の21日間瞑想でhappyを改めて拾ってみて、それにじわじわと気付かされた。今日は1週間たったところだ。
さて残りの2週間でどんなhappyを見出すだろう。7年前にレーシックで劇的に視力がUPしたことが今突然、改めて嬉しい。視力がだんだん落ちてきたけれど、DENBAという健康器具でなぜか視力が回復した。今、右目は1.5もある。レーシックで設定したのは1.2だったにもかかわらず。DENBAは間違いなくわたしのhappyのグレードをあげてくれた。これはあらゆるところで感じている。ちょうどDENBAを使いはじめて半年。これこそ私の今年の推し活だったように思う。
わたしのhappyは様々なもので構成されているけれど、わたしから全て奪われたとしても、わたしはhappyでいることを選択したい。それができるような気がしている。たとえヨブ記のヨブのようになっても私は笑いたい。そこまで悟ってしまったら地球はあがりだろうけど(笑)