叔父の顔
彼は私の母の弟。
母が長女、そして次女、長男という3人姉弟の末っ子で跡取りだった。
母も叔母も叔父のことを「シュンちゃん」と呼んでいたので、わたしも自然と子供の頃から「シュンちゃん」と呼んでいた。
船乗りだった彼は世界中の港に立ち寄り、その世界を引退してからも好奇心をもって世界と対峙していた。
そんな彼が亡くなり、母の妹も去り、3きょうだいでのこされたのは母だけだ。長女がほかの妹や弟を見届けるケースは意外にも少なくない。第一子は、母親の栄養状態が1番いいという。しかし寂しいことだ。きょうだいが旅立つのは。
幸いなのは、シュンちゃんのお嫁さんのヨーコさんが母と仲が良くて。母は彼女とたくさんの思い出を共有している。
母と電話で話した時、シュンちゃんの死に顔がとても素晴らしいので写真を撮ってわたしに送りたいと言ってきた。わたしは「絶対に撮らないで」と言って、母の言いたい事が写真を見なくてもわかる。と伝えた。
シュンちゃんの顔は悟りに到達したような顔だったらしい。死ぬことも受け入れ、騒がず、さいごにヨーコさんにありがとう。とお礼を言って亡くなったそうだ。シュンちゃんらしいではないか。
わたしの知り合いのお坊さんが、
やはり誰かを見送るためにお経を唱えると、死に顔が柔和になると言っていた。歪んで見えた顔が変わるらしい。真剣に唱えてもらうお経で感情のエネルギーが解放されていく過程で、顔の表情もうごくのだろう。死に顔というのは、その人の人生を映し出すようだ。
わたしもどんな状況下でも安らかな顔で、できれば至福の広角の上がった状態で逝きたいものだ。誰かが写真を撮りたくなるくらいの。