週末の「エネルギー身体論」
途中に昼休みあり
明日の9/27と、次の日曜日の9/29に神尾学先生の「エネルギー身体論」の講座がある。同じものを2回。場所は馬喰町駅から徒歩1分のホリスティックスペース・アクエリアスにて。
10:00-18:00まで。15,000円。毎回この1日があっという間に過ぎて驚く。
出会い
はじめてこの講座に参加したのは去年2023年の12月だった。わたしはあまり「身体論」にも「エネルギー」にも興味のないスピリチュアリスト。それよりも哲学や思想がメインで探究してきた。
しかし神尾先生のFacebookの投稿には大変お世話になり、有益な情報を得てきた。特にコロナ禍においては、先生のBANを恐れない発信力に脱帽。「エネルギー」も「身体」もさほど興味はないけれど、これがどうも「エソテリックヒーリング(秘教治療)」を学ぶ入り口になるらしいと知り、避けて通れない。神尾先生にもリアルにお会いしてみたい!とその内容周辺のことが気になって、参加した。
1日講座で学ぶこと
講座の正式名称は「エネルギー身体論の基礎1日集中講座」だ。
しかしどうだ。語られていたのは、秘教の「宇宙観」だった。それは壮大なスケールで体系化された仕組みの解説を「身体」というミクロな単位で解明して宇宙に及ぼす構造や仕組みの話だった。わたしは「とてつもなく」魅せられた。
もちろん「身体」を更に細かくDNAまで観ていっても大まかな構造は同じであり、宇宙に広がっても基本の枠組みは同じである。そういう「型」となるものを身体で学ぶ試みが「エネルギー身体論」。宇宙の、この世界のエネルギー的な仕組みを「体系的に」解き明かす。
Symphony
どうしてそんなことが可能なのかといえば、叡智が語りかけてきたことを書き留めた書物から学ぶからだ。それはまるでシンフォニー。壮大なスケールの音楽を聴くような感覚。今、はやりのスピリチュアルな本や思想は、各パートで秀でたソロの演奏者みたいに見えてくる。しかし秘教はソロではない。スタープレーヤーそのもではなくて、甘美な交響曲でありその響きを聴いていて飽きがくるのは難しい。指揮者の意図も開示されてもいい段階までは知ることができる。理解できるかはまた別の話。
and Session
秘教の「超」入門となるこの「エネルギー身体論」の講座の特徴は、神尾先生が一通り解説した後、参加者の方々の質問や興味関心ごとをきき、それに対して秘教の見解、または秘教との関連性をお話されるセッションだ。このjazzのようなセッションで神尾先生の類い稀なる叡智も人格も垣間見れてわたしは沼った。
去年の12月から、「エネルギー身体論の1日集中講座」が開催される度に参加している。なぜなら、会場とzoomに集まる人たち(ハイブリッド開催)によって毎回変化する質問の内容と答えを聞きたいのと、何度聞いても秘教の体系のざっくりとした全体像が面白すぎるからだ。
本屋・図書館
ところで、わたしは大の本好きで、本の香りを嗅いでいるだけで割と幸せなタイプなのだが、最近、本屋に行って呆然とする。人生の折り返し地点とも言っていい年齢になり、はたと「ああ!ここにある本を全て読むことはもうできない!時間がない!」という事実に気付くのだ。
図書館に行っても怯まなかった中学時代は、時間が永遠にあると思っていた。いや、今も時間は永遠にあると思っている。でも「この肉体」で「この(大したことのない)頭脳」で読める本の数はもう限られている。そう考えて本を厳選する。厳選しても毎週増えていく(汗)とにかく好きなのだ。本が。
相棒としての秘教本
しかし今は安心感も覚えている。わたしは「秘教」の24冊の本があれば大丈夫だと思っている。それは死ぬまで一緒に暮らす予定のパートナーに出会ったような感覚と似ている。わたしは浮気をするだろう。でも絶対にここに帰ってくるという確信がもてるテキストに出会った。それが「秘教」の24冊だ。しかもこの原典の英語版も入手しようと目論んでいる。
いつの日か、わたしのすっきりした本棚は秘教棚と、夢見のカバラ本と、ジャスムヒーンの本と、聖書やバガヴァッドギーター、あるヨギの自叙伝と論語と、その他の聖典と、辞典と、陽明学の本と、ACIM関連の本と、詩集くらいになるだろう。そのほかは全部キンドルとオーディブルでまわしたい。死ぬ頃にはスーツケースは2つ。一つは本だけでもう一つは服やノートや酒か。引っ越しの時も簡単だ。
What is Esoteric?
「秘教」は英語でesoteric。元来「限られた人々にしか理解されない知識」という意味で使われ、語源となるギリシャ語は「内部の」という意味。古代ギリシャでは教えは弟子にのみ伝わった秘密の教えだった。これは学ぶとわかるのだけど、「え!こんなことが開示されているの?」という内容だ。わたしは初めて「エネルギー身体論」を受けた時に、古代エジプトのイシスの学校や、イエスが所属していたエッセネ派や、そういうところでひっそり教え伝えられていた内容はこれだったのではないだろうか?と直感的に感じた。(どう頑張ってもそれを証明できないけど)
オンラインで見れるMeriram-Websterという辞典には、「エソテリック」に対して「エクソテリック」という単語が出てくる。これは内部に対して外部つまり公のという意味で、アリストテレスの講義は内部のエソテリックス向けと、公開講義のエクソテリックス向けとに別れていたという記述があるそうだ。
お節介な日本のわたし
わたしは「秘教」の仲間を増やしたいけれど、もともと、そういう内容ではなくて、本当にマニアックな人たちが、人智を超えた叡智に触れて鼓舞しているだけとも言える。だけど、あまりにも美しいので、こういう世界に興味がある人たちにはぜひ一度でも触れてみて自分の魂の呼び覚まされる部分があるか確かめてみてほしいなぁと、お節介なオバチャンは思うわけ。
まだ万人向けじゃないけれど、いずれの日かそうなることを願いつつ。明日行ってきまーす♡