ルックバック

藤本先生はずっと長編連載より読切の方が良い作品を描く作家だと思っていて、代表作「チェンソーマン」を初め、連載作品には今は手を出していない。
代わりに短編集は習作のものも含めて全て紙単行本で揃えている。
尤も、現在はダーツパチメテオゴリラ氏に借りパクされているのだが(仲が良いので気にしていないことを明記しておく)。

「ルックバック」が長編アニメーションとして劇場で公開が決まった時は絶対に観に行くぞと大変楽しみにしていたのだが、いざ公開されると身近で公開しておらず(当時は諸事情で一時的に地元に戻っていた)、かと言って時間とお金を費やして観に行くくらいなら手元の単行本を読んだ方が味わい深いのは間違いないので、結局のところ劇場で観ることは叶わなかった。

「ルックバック」は非常に熱のこもった作品であるが、「チェンソーマン」のような少年マンガの熱を求めに行くと、270度くらいベクトルが違うのですっかり肩を透かしてしまうだろうから、あくまでマンガやアニメのエンタメ要素が好きという人にとってはあまり刺さらないのではないかと思う。
エンタメの中にあるドラマを愛せる人ならば、とても満足できたハズ。
そして何かに全力で打ち込み、勝った負けたの酸いも甘いも噛み分けた人ならば、強い共感と衝動を覚えたのではなかろうか。

絵というのは言ってしまえば誰でも描ける。
幼児でもクレヨンを持たせればあちこちに描いて回るのだから、文字の読み書きよりハードルは低い。
故に、競争相手は他の芸能系よりも圧倒的に多く、生き残れるのはほんの一握りにも足らぬ「一つまみ」であると思う。
クラスの中では一番だったのに、その外にはこんな身近にも自分を上回る人が現れる、というのは必ずブチ当たる壁である。
それをライバルと捉えて研鑽に励むことができる時点で、僕は才能があると思う。
劇中の藤野の慢心と焦燥、そこからの研鑽、そして諦めを感じるまでのどれもが尊く美しく、そしてちょっぴり覚えがある。
ライバル視しつつも尊敬の念を抱いていた京本から認められた際の喜びも、それは自分には得られなかった感動ではあるが、しかし想像に難くない。
そこからの再起はあくまでドラマだが、この経験したことのないドラマに共感できるというのがこの作品が素晴らしい証拠である。

お互いを補い合う二人が手を取り合ったのだから、努力に対するモチベーションも目標に対するモチベーションも非常に高い様が描かれるが、その様が眩しすぎて嫉妬に似た心痛を感じるものの、見ていて暖かい気持ちになれる。
トントン拍子に成功していくのはフィクションとして当然の御愛嬌ではあるが、我々底辺クリエイターの夢の追体験で、それはそれで楽しめた。
むしろ、ここはまだ作品としては途中経過に過ぎない。
ここで終わってくれても夢追い人の苦悩を描く作品として完成しているが、ここで終わらないからこそ今の評価と支持を得ている。

唐突で理不尽な別れに、藤野は絵の道に連れ出した責任を感じ、静かに絶望する。
そして二人の運命を変えたあの部屋の前に立ち、二人の出会いのキッカケでもあった四コマの切れ端。
外界との途絶を意味する京本の部屋に滑り込んでいくと、二人が合わなかった世界線が描かれる。
藤野こそ全く異なる道を歩むも、京本は美術を専攻し、不審者に襲われるところまで変わらず同じ道を歩んでいた。
これは藤野への救いであり、我々同志クリエイターはどうあがいてもどうしようもなくこの道が好きになるのだ、という我々への救いでもあると思う。
そして「背中を見て」というタイトルのついた四コマの切れ端を見、断絶の象徴たる京本の部屋へと入る。
開かれた窓は藤野の意思ではなく、京本の意思でこの部屋を出たことを表しているだろうし、その背中を見ると扉にかけられた藤野のサインがある。
この場面のカタルシスは藤野と京本のこれまでの歩みを最大限肯定するもので、同時に今まさに同じ道を歩む我々への肯定だと僕は思った。

最後に黙々と液タブに向かう藤野の後ろ姿が描かれる。
この作品の余韻を邪魔せず、しっかり目と心に焼き付けられるスタッフロールである。


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