ねむれないしねないかけない

今なら死ねると思った。今なら死んでいいと思った。私が望んでいる冬の暖かい日ではないし、お天道様ではなくお月様が私を見てくれている時間だ。晴れた日の朝でもなく、冬の寒い日でもなく、月残る空でもなく、でも、今かなと思った。
思ったのに、そういえば今日、卒業式の袴を予約したばかりだった。大学に友達はいないし、卒業式なんか出なくたっていいのに、家は貧乏であることを知っているのに、母は私の袴姿が見たいと言って大金を払ってくれたのだ。何日以内なら契約を破棄できたな、と思ったが、本人の署名がないといけないのだ。死んだら署名ができない。
こうしてまた死ねなくなる。死ねない理由を探している。別に、お金なんてどうだっていいし母親の気持ちなんて知ったこっちゃないし、私の人生なのだから死にたい時に死んだらいい。しかし、そんなことができない。こういうときだけ優しさというか自分の中の気持ち悪い温かさを感じてしまって吐き気がする。ひたすら弱い。ただただ弱い。こうしてこのことを文章にしてnoteに載せて何になるんだ。何にもならないのに文字を書き続けてしまう。文才があるわけでもない、魅力的な文章が書けるわけでもない、駅で嘔吐物を残している酔っ払いと同じだ。吐くだけ吐いて放置。吐いたものは芸術的なわけでもなくただただ臭くてぐちゃぐちゃで気持ちが悪い。
袴を選ぶときに担当してくれた人は、私が大学に友達がいることを前提で話しかけてきた。成人式の振袖よりも、卒業式の袴の方が自撮りを撮るということを教えてくれたり、大学の友達と袴の話はしているのかと聞いてきたり、友達がいないくせに卒業式に大金払って袴を着て着飾る人間は珍しいのだろう。恥ずかしくなった、馬鹿馬鹿しくなった。母がせっかくお金を払ってくれるのに、素敵な袴を着るのに、多くの人は友達と写真を撮るために着飾るのだ。私は卒業式でも一言も言葉を発さないだろう。写真を撮る友達がいるはずもない。よくしてくれた先生がいるはずもない。陰キャが場違いなことをしている恥ずかしさは今後一生ついてくる。卒業式が怖くなってきた。
母も姉も、今月同窓会がある。同窓会に招待される未来が私には見えない。いいなと思った。悲しくなった。いつからこんなに暗くなったのだろう。人との関わりは怖くなかったはずなのに、なぜこんなにも苦手になってしまったのか。傷だらけの腕を見ながら何度泣いただろう。本当は華やかな人生を送りたかった。友達がたくさんいて、誰とでも話せて、過去を恐れない人間でいたかった。人が苦手で、大勢の場が苦手で、なんでこうなんだ。
久しぶりに特大のネガティブを背負ってしまいどうしたらいいのかわからない。こう、わざと文字を詰め詰めにして、読みづらくしている自分が好きになれない。noteとして公開するくせに、読んでほしいのか呼んでほしくないのか曖昧なところが格好悪い。中途半端だ、全部。涙も眠気も引いてしまった。頭も心も重い。いつもよりベッドに沈んでいる気がする。文章も思いつかなくなってきた。何もできない。頭が空っぽになってしまった。空っぽなのに何かが入る隙はない。空っぽなのにとても重い。今日見る夢が、幸せな夢でありますように

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