たくさん話してる日記
ネイルサロンで能登半島と中継がつながっている番組を見ていた。隣の客とネイリストは、こわい、かわいそうと一言ずつ言葉を交わした後、すぐ、そういえば地面師たち見た?と話が変わっていた。テレビはまだ能登半島と中継が繋がっている。口に出していないだけで、私も同じだ。中継は見ているが、見ているだけで、何もできない。地面師たちの話題が聞こえたとき、私は極悪女王面白かったななんて少し思ってしまったし、自分は愚かだなと思った。私が人見知りではなかったら、ネイリストと次々に話題を変えて、その中で能登半島のことに触れ、かわいそうなんて口に出していたかもしれない。こんなときにイエモンのJAMが流れてくる脳内もすごく嫌だ。ああ、なんて惨めなのだろう。すごく自分が嫌になる出来事だった。
実家の近くの通りで黒柳徹子に遭遇する夢を見ると必ず金縛りにあう。黒柳徹子が夢に出るときは、金縛りにあうときだけだ。逆を言えば、金縛りにあうときは必ず黒柳徹子が夢に出てくる。私の人生でなぜこの法則が成り立っているのか理解ができない。どちらかと言うと、黒柳徹子を見なかった家庭であり、黒柳徹子のモノマネをしている芸人のほうが見るような家庭だった。実家の近くの通りで黒柳徹子に遭遇する夢を見ると金縛りにあうと気づいてから、黒柳徹子を見ることが怖くなった。きっといい人であり、私が勝手に私の夢に登場させているだけなのに、とても申し訳ない。
商品を選んでいる人の目は怖い。私は食品販売のアルバイトをしている。並んでいる食品たちをじーっと見つめ、どれにしようかなと選んでいる人たちの目は気持ちが悪い。食が大好きな私も無意識にこのような目をしていて、このような目を店員に見せているのかと思うとゾッとする。電車で向かいに座っているおじさんにジロジロと見られている感覚と似ている。見ているだけで不愉快にさせてくるおじさんを訴えられないことが悔しい。商品を選んでいる人に罪はない。正しいことだ。それなのに気持ちが悪いと思ってしまう。通りかかる人が横目で商品をジロジロ見ている時も、ゾッとしてしまう。人の目は怖い。人の視線は怖い。
SNSを禁止していたとして、必ず誰かが見せてくる。私は今TwitterとInstagramを禁止しているが、全く見ないということは不可能だった。友人からLINEを通して、TwitterやInstagramのURLが届く。それをタップしないわけにはいかないわけで、私は迷いもなくタップしてしまう。友人と遊んだとき、家族とリビングにいるとき、相手はスマホでTwitterやInstagramの面白い投稿や可愛い投稿など何かしら見せてくるのだ。私も迷いなく見る、なんならこれがSNS補充だとラッキーとまで思っている。この前は、その気持ちがいきすぎてしまい、母のスマホを借りてTwitterを見てしまった。どうしても検索したいことがあり、今がチャンス!と思ってしまった。情けない。
LINEで絵文字を使うと人間関係がうまくいく。かもしれない。私はLINEが冷たいと言われる。親や友人とこのことでトラブルになることはまずないのだが、相手が恋人になると問題になる。好きの感情を伝えていたとしても、あまりにもそっけない返信で好きを疑ってしまうらしい。文面ではなかなか気持ちが伝わりづらいことを理解していて、理解した上で改善しているのだが、改善しているつもり止まりでLINEをきっかけに喧嘩になることが多かった。最近、ラインのスタンプではなく、絵文字を入手した。あざらしがモチーフのかわいらしいキャラクターの絵文字だ。スタンプは文章の前後に単体で送ることができるだけだが、絵文字は文章の中に入れることができ、顔文字のように使用できる。これがよかった。顔文字やiPhoneにもともとある絵文字を使うことがあまりなかった。自分が好きなキャラクターであり、新しくゲットした絵文字なため、必要以上に使用したくなった。しかし、その結果、普段なら冷たいといわれていた返信も何も言われなくなった。可愛らしいキャラクターのおかげで、私の文章までも可愛らしくなったのだ。