帰路の文字達
外に出ると沢山の文字が溢れている。街並みには、当たり前のように文字が存在している。ゴチャゴチャしてもおかしくないのに、外にはまとまりがある。空の色が何色でも、たくさんの色が重なり合っていても、配色に違和感を感じたことがない。
大学の帰り道、意識的に文字を探してみた。
電車には、「お願い 電車は事故防止のため急停車することがあります。走行中はつり革や手すりにおつかまり下さい。」との表記がある。急停車、つり革や手すりの部分だけ赤い文字になっている。強調したい部分を赤にしているのだ。私だったら、事故防止、急停車、つり革、手すりを赤にしてしまうな。
小学生の頃、目が悪いのにまだ眼鏡を持っていない時期があった。私は手をピースの形にしながら、人差し指を目尻に、中指を目頭に当て、皮膚を引き伸ばしていた。こうすると、視力が上がり、黒板が見える(試してみてください)。先生は強調したい文字を赤のチョークで書いていたが、目が悪い人にとって赤は見にくいんだよなあと思っていた。
電車のドアには、上部に「ドアに引き込まれないようにご注意ください」下部に「ひらくドアからてをはなしてね」という表記がある。大人が見る位置と子どもが見る位置で言葉遣いが異なっている。捻くれ子どもであった当時の私が気づいたら、なんで子どもにはタメ口なんだと不機嫌になっていただろう。
駅の階段には、右側通行をしてもらうための矢印がいくつか貼ってある。私が降りた駅では、右側通行の協力をお願いするアナウンスも流れていた。しかし、守っている人は多くなかった。私は必ずこのような表記を守るようにしているため、守らない人を見ると少しイラッとしてしまう。人の自由だが、私はこういう細かいところで徳を積んでいるんだぞと胸を張っている。
街を歩いていると、電車とは違い、様々なフォントの文字が並んでいる。
手書きの平仮名で「どーなつ」と書かれている看板に目を惹かれる。大きめの"ど"に控えめの"ーなつ"がいい味を出している。ここのどーなつは美味しいだろう。平仮名のどーなつだと、駄菓子屋に売っているヤングドーナツの味を想像してしまう。ヤングドーナツの表記はカタカナなのに、なぜだろうか。
赤い三角の看板に書かれている「止まれ」の文字は、意外と弱々しい。太く!大きく!止まれ!と強引なわけではなく、上品に冷静に止まれ。と命令されてるような字体だ。私だったら、三角に収めず、"止""ま""れ"と一文字ずつ大きな看板にして並べてしまう馬鹿げた看板を提案してしまうな。
バスに乗ると、前の座席の背面に「事故防止のため扉が開くまで席を立たないでください」という注意喚起か貼られている。黄色い四角の中に細い赤い四角がさらに囲んでいて、事故防止(赤い太い大きい)のため(黒い小さい細い)扉が開く(赤い四角の中に白い文字で太く大きい)まで(黒い小さい細い)席を立たないでください(赤い太い大きい)ととても工夫されている。
"扉が開く"の部分だけ違和感があったため触れてみると段差があり、上から貼られていた。元々は"扉が開くまで"も赤くて太くて大きい文字だったのかもしれない。より強調する必要があるため、赤い背景に白い文字で書かれたモノを張り足したのだろう。
黄色、赤色、白色、黒色の4色が使用されている貼り紙は、読む必要性があるかもしれない。電車もバスも、最初からこんなにもたくさんの注意書きがあったのだろうか。車内を見渡せば、至る所に黄色、赤色、白色、黒色が主張をしている。
家の近くを歩いていると、電柱には、病院や薬局の場所を示す看板が貼られていたり、付けられている。木には、「ヤマボウシ」など種類が記載された茶色に白字の看板が付けられている。建物近くの街頭には、「関係者以外立入禁止」の看板が貼っている。立ち入り禁止の看板は、意外にも白の背景に黒い文字だ。てっきり禁止には赤色や黄色が使われるのだと思っていたので混乱している。
公園に貼られているポイ捨て禁止の看板は、3種類あって、等間隔に異なる看板を飾っていた。
私が最後に外で見た文字は、自分の名字だ。きっと最初に外で見た文字も自分の名字だ。