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津野米咲の献花へ。


車で5時間かけて津野米咲の献花に行った。

このご時世で東京に向かうのは憚られたが夫と相談して、行くことに決めた。
そうでもしないと現実と折り合いがつけられそうになかった。2人共きっかけが欲しかった。

車内で発売順に赤い公園のアルバムを流した。

ご飯を作っている時に夫が帰るとしょうゆのにお〜い〜!と何を言うを歌い
ランドリーの冒頭を歌いながらハイハイをしてみせる夫にゲラゲラ笑ったりした事を思い出した。

道中の運転は夫が担ってくれた。(申し訳ない事に私はペーパードライバー)
私はアルバムの節目節目に時々目を潤ませていたが、交信で耐えきれず泣いてしまった。もらい泣きさせたら申し訳ないから我慢していたのに。
夫は凛として運転していた。強い人だ。


花屋に着いた。
皆、ショーケースの中で綺麗に咲いていた。
献花を作るのは難しい。
私にはあまりセンスがない。
赤い公園だから赤いガーベラ 
黄色い花のガーベラ
衣装に使われる事が多かったので
白いカーネーション
花言葉を考えるとキリがないのでやめた。
皆、素敵な意味が込められてるのには変わりないから。

他に献花する方もいるので
小さい花束にしてもらった。
花選びの際に夫と少し赤い公園の話をした。
店員さんが気を利かせてくれたのか、
私達が何も言わなくてもラッピング紙に赤を、リボンに赤と黄色を入れてくれた。




その日はとても晴れていて空は澄んでいた。
"赤い公園"には沢山の子供が遊んでいた。


赤いベンチに近づく事に気後れしてしまい
外の丸テーブルで花束を抱えたまま
夫とただじっと座っていた。
献花をしたら何かが終わる様な気がして
なかなか立ち上がれなかった。

献花しなきゃ。
せっかく綺麗に作って頂いた花束を
ベンチの側に置きにいかなきゃ。

重い腰を上げて赤いベンチの前に立った。
献花台にある"津野さんのファンの方へ"
ただの注意書きだが
その言葉を見ただけで泣いてしまった。

ベンチに親子が座っていたが、泣いてる私をちらと見てお父さんが気を利かせて場所を移動してくれた。本当にありがとうございました。
ご厚意に甘えて、ベンチに座った。
よく見るとベンチはところどころ色褪せていてここを訪れるたくさんの人に愛されているのがよくわかった。


暫くじっとベンチを眺め、その後そっと腰を下ろした。そして津野米咲を偲んで泣いた。

ひとしきり泣いた後、立ち上がり
"赤い公園"に別れを告げた。

またね。


せっかく立川に来たので、赤い公園所縁の地を巡る事にした。

立川の街は活気があり、老若男女問わず色々な人がいた。

帰路の途中なので、THE PARKのあの子にも会いに行った。

公園には子供たちが6〜7人いたが、誰もこの子で遊んでいなかった。
写真が撮りやすいのでありがたい反面少し寂しい気もした。


足元にスコップが落ちていたので、本当はいつも君の周りでたくさんの子供が遊んでいるよね。きっと。


なかなか津野米咲の死を受け入れられなかったが今回献花をし、各地をまわる事で自分の中で少しだけ現実を受け入れられた気がする。
まだ赤い公園の曲を聴く度に胸が締め付けられるのは変わらないが、それでも前を向こうと思えた。

津野米咲さん、今まで本当にありがとう。

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