"花束みたいな恋をした"を観たらアイデンティティが崩れた。
"花束みたいな恋をした"を観た。
1人でラーメン店に行き
ミイラ展に興味を示し
カラオケできのこ帝国を歌う
あまりにも私みたいだった。
怖かった。
ミイラ展にこそ足を運ばなかったが
深海魚展、印象派展、イグノーベル賞展
様々な美術館、博物館に行った。
休日の昼間にはラーメンを食べに行った。ブログはやらなかったが、写真と味の記録をスマホで付けていた。
きのこ帝国は大好きだ。特にクロノスタシスが好きで、好きな人と缶ビール片手に真夜中を散歩する事が憧れで、実際に夫と0時に近所の公園を歩いた。
怖かった。
様々な事に興味があり、積極的に吸収しようとする姿、色々な事を知らない他の人を少し俯瞰している所まで私と同じだった。
"電車に揺られていたら"と表現し
スワロウテイルのフライヤーを壁に貼り
好きな言葉は「バールのようなもの」と答える。
あまりにも典型的な私の好きな人だ。
同じ様な趣味を持ち、言葉遊びが上手い。
大学生の時好きだった人を思い起こさせた。
こんなに趣味が合う人いないと心の底から思った。
怖かった。
これが大衆向け映画として公開された事が。
早稲田松竹でもなく、下高井戸シネマでもなく
全国の映画館で観賞できる事が。
自分はマイノリティ側だと思って生きていた。
サブカルチャーをこよなく愛していたし、そんな自分が好きだった。
でもこれが全国で公開されたということは
"私みたいな人はたくさん世の中にいる"
まごう事なき真実を突きつけられた。
私が愛する文化は割と一般的で
サブカルチャーではない。
最早メインカルチャーだと。
怖かった。
大袈裟に言えば、人生を否定された気分だ。
唯一無二の人間にになりたかった。
沢山のカルチャーに触れて
どのジャンルの話でも脳内の引き出しを開けて
自分の感性や、知識を織り交ぜて語れる人になりたかった。
自分が目指していた人物像は私だけではなく沢山の人が志すものなのだろうか。
怖かった。
私は大衆の1人でしかない。
頭ではわかっていたけど、理解はできていなかったようだ。
私は特別でもなんでもない一個人でしかない。
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