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青春時代が終われば私たち、生きてる意味がないわ

青春時代が終われば
私たち、生きてる意味がないわ
ドラマ-羊文学

私はこの曲が本当に好きだ。
"生きてる意味がない"と強い言葉で綴られている点が特に好きだ。2018年に発表され、その頃私は既に働いていた。故に当時の私は青春時代が終わっても生きてる意味が大いにある事に既に気づいてしまっていた。

そもそも青春時代=学生期間と考えていたが、私の場合はもう少し長かった様に思う。毎日働き毎月決まったお金が手元に来た。幸い残業はあまりなく、休日もしっかりある職場だったので時間の許す限り遊んだ。定時退社してライブや友人とご飯へ行き、好奇心の赴くままダイビングやパラグライダーなどアクティビティにも精を出した。学生時代よりも自由だった。まさか社会に出てから別の青春時代が訪れるとは勉学に励んでいた頃の私には想像もつかなかった。

金色の髪を失くせば
私たち、もう価値なんてないわ
ドラマ-羊文学

学生時代は確かに髪色に自由があった。服装もとやかく言われることは無かった。卒業後は髪の色が金や青やピンクや緑の子は皆黒一色になった。当時は服装や容姿の自由を奪われる事が不安だった。ただ私は働いてからの方が万札を握りしめて、買いたい服を買い、買いたいデパコスを買っていた。髪色こそ黒だが、金に物を言わせて容姿を好きにできた。出勤時の服装に規定がなかったからこそなのかもしれないが。

できればドラマとは学生時代に出会いたかった。社会に出たら雁字搦めにされて自己主張もできず、自由にもなれないと思って学生時代を過ごしていた。モラトリアム期が終わればこの後の人生なんて消化試合だわと、今後待ってるであろう容姿に自由がない生活なんて意味がないと全身全霊で共感したかった。私の本当にいるべき場所はどこなのか模索し続けたかった。帰る場所なんてないのと言ってみたかった。もっともっと気が向いた時に友人と酒を飲み朝を迎えたり、平日の真昼間に知らない街を散歩したり、極小数の人しかいない映画館に行ったりしたかった。働けばきっと嫌なおばさんに詰られたりもするのだろう。休日も仕事に時間を盗られることもあるだろう。やだやだ。青春時代が終われば私たち生きてる意味なんてないわと大手を振って叫びたかった。当時は青春時代の終わりは人生の楽しい時期の終わりだと間違いなく思っていた。社会に出てからも楽しいとわかってしまってから聴くとどうしてもノイズが入ってしまう。青春時代が終わっても、金色の髪をなくしても今後の人生もそんなに悪くないよと今の私が嘯いてしまう。ドラマを聴く際にそんな事実は必要ない。青春時代真っ只中に聞くことでより刺さる曲だと思う。もっと早く出会いたかった。


余談だがこの曲が好きな人はぜひ放課後ソーダ日和を観て欲しい。

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