ピンチな時の上手なマインドの使い方 76 追い込みすぎ
「追い込まれる」当たり前が「追い込む」になり、出どころが不明になる
皆さんこんばんは、大嶋です。
先ほど帯広施術会から帰ってきました。
久々の実家。
くつろぐどころか、これから仕事、MTG。
今日も変わらず、やる事、やり尽くします。
ということで本題に入りましょう。
今日のテーマは「追い込みすぎ」です。
追い込む
時と場合によっては必要な行為です。
勝負の時や激変の時、自分を超える時、等、
追い込まないといけない時はあります。
成長には必要な要素の一つです。
ただ、使い方を間違えると、当然自分が苦しみます。
そして、対象を間違えると・・・
孤立の温床になります。
でも、ついついやってしまう。
なんなら正当化してしまう。
これは意識ではなく無意識での行為なんです。
だから、止めれない。
気づいたらやってしまう。
始末が悪いんです。
私も、ストイックな人間で、それが当たり前、
更にはかっこいいくらい思っていました。
でも、実際、長続きせず、ある日突然急ブレーキ。
再起には時間がかかる。
自分がやっている事だから、人にも推奨する。
というスタンスで、強要する。
嫌われるわけです。
何が原因でこうなってしまうのか?
それはシンプルに他人の影響です。
本能行動の以外は基本的に誰かが「必要」だと思った
物を「必要」と感じ受け入れて自分のものにします。
信念みたいなものです。
最初から追い込む事を好ましく思っている人はいません。
後天的という事です。
でも、それが当たり前になると、それが誰かからの
贈り物である事に気づかない。
さも、生まれつきのものと誤認してしまうわけです。
自分が当たり前だから、他人様にも当たり前に接する。
自分が大切なものだから、他人様にも提供する。
厳密には押し売りする。
嫌われる確率は跳ね上がるし、自分も自滅の一途を辿る
可能性は高いです。
では、これは、どう解消できるか?
まず自分に正直になる事です。
本当に追い込んで楽しいか?
必要性とか、義務とか、効果とかをまずは置いておいて、
人を追い込むことは本当に楽しいのか?
相手のためとか、貢献とかそういうのは置いておいて。
楽しいとは思わないはずです。
その本音と向き合い、その本音に基づいて生きるために
どう生きたら良いか?
それを見つける必要があるのです。
信念に基づくより、考えに基づくより、効果に基づくより、
本音に基づくほど幸せな生き方はありません。
難易度は高いかもしれません。
でも、自分の人生を大切にするなら、最も必要な事です。
自分の本音、聞いてあげてますか?
答えはいつでも自分の本音にあります。