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ユーモレスク 10

                            tatikawa kitou

 3章 アルツの基地

 正午。気候のいたずらか、八月のような陽気にさらされた。

 アルツが自分の基地を教える番だった。チャプチャプと裸足で川を下っていた。木橋をくぐり陽射しが遮られたその時、ちょうどその頭上を宣伝車が通過した。地方では珍しくアイドル歌手のコンサートを知らせるそれであった。

「華や――の贈り物——」

 けたたましい音量の残骸を頭上に残しあっという間に走り去ったが、一瞬の喧騒に鼓膜が響く。オグリは「彼女」のファンだった。冷静なアルツに聞いた。

「今、どこに来るって言うた?」
「マリンランド」
 アルツには興味がなかった。

「マリンランドってどこにあるっちゃ?」
 さらに興奮してアルツに聞いた。

「下関」
 事もなげアルツは答えた。

 影を覆っていたしめやかな冷たさが、橋をくぐり出ると陽射しが蘇る。
「今日は馬鹿に暑いのぅ? 今日は何の日かいのぅ?」
 アルツが聞くと、
「『こどもの日』じゃ」
 オグリは答えた。それでやんわりと話がソれた。

 3m足らずの川幅の川べりには茅やツユクサやハトムギが自生した。まだ護岸工事がなされていなかった。川底は黄土色の粘土質で、土手までは2mの高さがあった。

 水嵩が膝下あたりだったからか後ろからやや押されて歩くのは楽で、だから時々足を高く跳ね上げジャブジャブ川音を立てたが、それでも川底の地面はヌルッと滑るので五本の足指でしっかと地面を掴んで歩く。

 前方ではいたるところにアメンボがスケーターみたいに滑走し、彼らを追い越そうと駆けてみても彼らは二人の先導役として決して先頭を譲らなかった。だから、おだやかな水の勢いのままに川下へ進んだ。

「アルツ。この川なんちゅう川じゃ?」
「明神川じゃ。明るいっちゅう字に神様の神じゃ」

 アルツは不思議に感じた。木は川と逆だ。木は幹があり、そこから枝葉が分かれ、伸び、またそこから枝葉を伸ばし繫茂してもそれは一本の木の名前であることには変わりない。川には幾つかの源流があり、それらは別れたり合流したり、そこからまた枝分かれしながらも、の時点の川の名前を刻み、最後には合流し一つの流れになり海へ注ぐ。

「アルツ。荒神様に明神川か。おれらァ、神様にえこひいきしてもろうちょるんかのォ?」
 笑った。

「この先が『中川』じゃ。その先が『厚東川』じゃ」
「その先は?」
「もう、あとは海じゃ」
「アルツ。おれらァこのまま海まで行ってみるか?」
「いつかのゥ。じゃが、今日はそこまで行かん。オグリ。あそこを見てん」
「おお。どこじゃ?」
「右側じゃ。目の前じゃ」

 アルツが顎をしゃくって示した。

「杉の木がヒョロって一本立っちょるじゃろ。あれが目印っちゃ。あそこがゴールじゃ」
「すぐそこじゃァや。あそこに何があるんじゃ?」
「荒神様で凄いもん見してもろうたけェ、オグリにもおれの一番好きな景色を見っしゃる」

 ここから300mほど、二分で着いた。ゴールと言ってもまだ水の中だ。オグリは空を見上げ探すようにその場で体を一周させた。

「アルツ。どこを見るんじゃ?」
「もうちょっと待て。一瞬のタイミングなんじゃ。怪物が出てくる。そろそろじゃ」

 アルツは立ち止まって目を瞑っていた。耳を澄ましているようでもあった。それを見たオグリも真似て目を閉じた。オグリは特に耳を澄ましたつもりもなかったが、それでもどこかで叫ぶ動物の遠吠えを聞いた気がした。アルツがその瞬間、

「今じゃ!」

大声をあげた。

 造作もなくアルツは右の川べりの土手を駆け上がった。オグリが追った。粘土で汚れた二人の素足がイヌムギを黄土色に汚した。砂利道へ出た。アルツがオグリのTシャツの袖を引っ張り方向転換させた。川沿いの砂利道を横断し水田の前に並ぶと、

「オグリ。座れ」

二人は体育座りで陣取った。

「なんじゃ。ぶち広い田んぼじゃのォ。これを見したかったんか?」

その水田は三町あった。野球場が3個入る広大さだ。

「違う。田んぼの向こうに線路があるじゃろう。線路の左端を見ちょき。デゴイチが来るけェ」

 すると、一分も立たない内に猛々しい汽笛の音が鳴いた。そして、

「シュッシャ――シュッシャ――」

やってくる音だった。

「ポーッ」

 近い。

「ぼーっ。ボーッ」

 見えた(左端から姿を現した)。

「デゴイチじゃ」

 オグリが叫んだ。黒煙を吐く蒸気機関車Ⅾ51を見た。が、アルツはオグリの耳元に落ち着き払って言ったのだ。

「上を見ィ、オグリ」

 それでもオグリはデゴイチだけに目を奪われていた。

「シュッシャ、シュツシャ、ポー……」
「バカ。早う空を見ィ。 オグリ」

 オグリが空を見上げた。

「おおーっ」

 感嘆の声と共に後ろに反っくり返りそうになるオグリの背を、後ろからアルツは胸で支えた。

 ジャンボジェット(旅客機)だ。

「グオオーッ」

 中空に浮かんでいた。巨大な鼻先が左に向いている。目を凝らした。人の頭がアリンコみたいだ。

「今じゃ。オグリ。田んぼを見れっ」

 アルツの利き手がオグリの頭を乱暴に上から押さえつけた。



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