愛だろ、愛。
実は妻がテラスハウスのファンだった。
無論私も彼女の言われるがままに同時に視聴をし、惰性的にではあるがある程度の思い入れもあった。
知らない方もいるかもしれないが、Netflixは国によってその配信が異なる。
イギリスではテラスハウスを視聴できるが、日本のよりずいぶん遅れている。
まぁ、字幕を入れたりしなくてはいけないし、そんな感じだ。
そしたら、このニュースだ。
そりゃびっくりだ。
ニュースでたくさん話されているだろうし、著名人達もコメントをたくさん残していることだろうから、”お前まで、テラスハウスのことかよ!”っと思われているかもしれない。
テラスハウスの一ファンとして、私も心を痛めた。
そして今回の事件で匿名での誹謗中傷がフォーカスされることとなった。
サッカーの本田選手は誹謗中傷は人間の本能と言ったが、これには私は全面的に納得する。
たとえば、ある種の鳥は求愛のために自分でステージを作りダンスを踊る。そしてそれに魅了された雌とその雄は子孫を残すことが出来る。
人間は社会性があり足並みをそろえることができる生き物であるが、その中で特出しなければ優秀な子孫を残すことができないともいえる。
隣にならいながらもどこかで出し抜くことを視野に入れていると言っていいかもしれない。
目立ちたい、注目を浴びたいということを純粋に求愛のためだと仮定してみれば、これらの行動も簡単に説明がつく。
自分をより多くの異性に知ってもらえれば、より子孫を残すチャンスが増えるからだ。
それを面白く思わない個体もより多く存在することになる。同様に目立とうとしたり、または引きずり落とすよう働くだろう。
それが、今の新しいツールでもって現実的な問題になったのが匿名での誹謗中傷だ。”サイバーブリー”っということもある。
これが本田選手が本能だ、っと言った理由だと思われる。
たとえば、名誉欲についても同様に特出することが求愛に有利であるのであれば簡単に説明がつく。
しかし、人間はそういった自分の努力の成果から名声を獲得し有名になったにもかかわらず、時になぜ自分はこれほどに有名なのか?っと自問自答し、他人をだましている気持ちに苛まされるという。
これは、インポスター症候群といわれるらしい。
何を隠そう、私はカート・コバーンのファンであるから、彼がそういった感情に苦しめられたのを知っている。
こういった精神的な問題を一言でかたつけることが難しい事は承知なのだが、本来の動物としての許容量である求愛レベルを超える名声は毒になるとは考えられないだろうか?
確かにがむしゃらに目立とうとすることは品が無く見えるかもしれないが、それが彼らの求愛の型なのだ。
いろいろな型があってしかるべきだ。
そのスタイルを嫌いだという感情を持つのは自由であるが、それを卑下するのは紛れもない差別だ。
またたとえが鳥になって申し訳ないのだが、踊らない鳥の中には、頑丈な巣を作ってそれを飾り付けたりして求愛するものがいる。
彼らはお互いのことをどう思っているか知らないが、自分が得意なことに精を出しているように見える。
もちろん、人間の行動規範は本能や求愛だけで説明ができるほど簡単ではない。
そして本能はある程度理性でもって制御できる問題でもある。そういった理性の結晶の一つが法であり社会である。
新しい犯罪が法を発達させる、また新しい社会ができる。
その社会が犯罪を抑止する。
行き場を無くした本能はまた新しい精神疾患を生む。
頭のいい人達が、難しい問題を難しく理解し、難しく説明する。
本当は人間もただ愛を求めているだけなんじゃないのかなぁ。
子を持つ親として、私はどういった愛を注げるであろうかと再度考えたりした。それが歪んでいるかどうかはまた彼が大人になったときにしか分からないのかもしれないが、とりあえず私より先に死んでくれるなと切望している。