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もう誰も「死ぬ気でやれよ」と言わない時代に
“今の自分の状況は、すべて自分に責任がある”
「そう覚悟した瞬間から人生は好転し始める」と、誰かが言っていたような気がする。
つまり、今自分に起こっていることは、全部自分が選択してきた結果であり、自分以外の誰のせいでもないということ。
もちろんケースバイケースだし(例えば交通事故や通り魔や虐待など不幸な事件に巻き込まれて亡くなった方の場合は、その人の責任とは言えない)、語弊を招きそうな恐れはあるが、
私はこれに概ね同意する。
ところで、最近身の回りで、パワハラ、アカハラ、モラハラなどとにかくハラスメント訴え合戦が頻発している。
あなたの周りではどうだろうか?
私は訴えられたことも訴えたこともないので(もちろんパワハラ的なものはそれなりに受けてきた)、当事者意識をあまりもてずにいたが、最近本当に多いので、こりゃ時代の流行だなと思っている。
今まで声を上げられず、不公平な立場に追いやられていた人の声がきちんと通るようになったのはとても素晴らしいことだと思う。
一方で、被害者側にまわって「訴える」ことが武器化しているような印象もあり、世間の流れは「訴えたもん勝ち」みたいになっているような気もする。さらに訴えられた方も黙っておらず訴えた方を訴え返すという戦法も一般化しつつあり、もはや意味不明な様相を呈している。
誠実にそれを必要としていた人たち以外の人たちにまで、悪用され始めているような印象すら受ける。
暴力を受けたら、理不尽な攻撃を受けたら、不当な扱いをされたら、はっきりとNOを言うべきだし、何らかの手段を持って立ち向かうべきだ。
でも、“かわいそうな被害者”側にまわって自分が受けたダメージを主張し続けることで、不幸でい続けることで、
「あなたが私にしたことはこんなにひどいことだったんですよ」と、罪をわかってもらおうとする、受動的攻撃みたいなのを一生やり続けるのは、あまりにも悲しい。
私たちがいくら不幸になったところで、敵は反省なんかしない。馬鹿じゃねえのと思うだけだ。そもそも人を傷つけて平気な顔して生きてる奴らなのだ。本当の意味で響くわけない。
そして失われた時間は戻ってこない。二度と。
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