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その男、イタリアン


「週末はコモ湖のベッラージョで過ごした。水面を眺めながらワインを飲んだよ。日本にいる君のことを思い出してた。君と見たネモフィラの花や、銀座のお店や、帰りのタクシーでの会話を…」


風光明媚な大量の写真と共にそう送ってきたのは、イタリアに住む50代の日本人だ。今は向こうで某企業のCEOの座についている。

写真はとてもよく撮れていた。そのまま映画のセットに使えそうだ。
素敵だと思ったので、素直に「とっても素敵だね」と返した。


彼とはもう10年近い付き合いになる。

その長い年月の中で、弁護士を挟んで揉めたこともあった。海外のクラブで2人で泥酔して現地の警察に捕まったこともあった。ヨーロッパの島で贅沢したことも、ハイブランドで買い物をせがんだことも、星つき高級レストランを片っ端から食べ歩きしたこともあった。

縁を切ろうとしたこともあったし、プロポーズされたこともあった。もう二度と会うまいと思ったこともあった。実際、2年間の空白期間がある。
それでも、彼が熱心に再会を求めたり、私から誘ったこともあって、結局今も繋がっている。


私は相手のことを男として本気で好きだったらわりと潔く体を開く女なのだけど、彼のことは男性として好きだと思ったことはなく、体の関係を持ったことがない。グラっときたことも、一度もない。彼も手を出してきたことはなかった。

今思えばそれが、ここまで長く続いた理由でもあったのかもしれない。


***


ここでは彼をYと呼ぶ。

Yは先月日本に一時帰国していた。日本の役員とのミーティングと、自身の健康診断と、施設に入っている母親と、都内に持っているいくつかの不動産管理のためだ。

Yが着いた日の夜、彼の滞在するホテルの近くの小さな和食屋で一緒に夕食をとった。

Yはだし巻き卵や茄子の揚げ浸しを食べては噛み締めるように顔を歪め、唸るような歓喜の声を上げた。

「ああ〜っ、、もう、、、何て美味しいんだろう、幸せだ〜」

彼は離婚して何年も経っているので、自炊は問題なくできる。
イタリアでも健康に気を遣って自分の食べたいものを作っているようだ。
それでもこだわって丁寧に作られた出汁の味は堪らないらしい。

「そちらはどう、順調なの?」

と聞くと、Yは

「まあまあかな。まず何よりも、“人“を大事に仕事してる。会社は“人”だからね。現地の社員それぞれ一人一人とちゃんと関係を築いて、気持ちよく生き生き仕事をしてもらうこと。それが自分の役割だと思ってるからね」

と、赤い頬をテカらせながら答えた。メニューにずらりと並ぶ日本酒が嬉しくて仕方ないようだ。

「社員さんともだいぶ仲良くなったんだね」

「そうだね、まだイタリア語は話せないけど、優秀な秘書兼通訳がいるからね、彼女に助けられてるよ」

「すごいことだね、海外から来たアジア人のCEOなんて、最初は反発されそうなものだけど、Yは逃げずにきちんと向き合って、彼らの心を掴んでるんだもんね」

「あのね、つかふるちゃん、こういう時は、立場で話しちゃダメなんだよ。人対人なの。Yとロレンツォなの。Yとマルコなの。そういうハートで対等に話すの。そうじゃないと向こうは心を閉ざしちゃうからね。絶対に偉そうにしちゃダメ。権力で相手をコントロールしようなんて一番やっちゃダメなことだね」

「ふむふむ」

「イタリア人は本当に離職率が高い。我慢しないんだよ。嫌ならすぐに辞めてしまう。せっかく育った人材も、ちょっとのことですぐ失ってしまう。会社にとっては人が一番の損失なんだ。僕はね、Yとなら一緒にやりたい、って思ってもらいたいから」

Yは饒舌に話す。

「でもさ、“対等な立場”を徹底すると、今度は統制がつかなくなることとかないの?舐められちゃうとかさ」

「それはね、飴と鞭の使い分けなんだけど、僕もちゃんと言う時は言うね。ダメなことはダメってはっきりと。そうしないと、なんでも甘々で結局組織をダメにしてしまう。真面目にやっている人が損してしまう。それはリーダーとしては失格なんだね。でももちろん言い方には気をつけてるよ。相手の自尊心を傷つけないようにね」

「Yはあんまり怒らなそうだもんね、想像つかないよ」

「そうだね、僕は怒らない。でも、ちゃんとカウントしてるよ。間違いが会ってもしっかりと話して、3回までは許す。でもそれ以上繰り返したら、もう切ってしまう。その人には言葉が届かない、もうやっていけない、と判断するんだね」

「そうなんだね。まあ、組織を回していくには、取捨選択も必要だものね」

「そう。どこかで切り捨てないといけないこともある」

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