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東日本大震災があった日
多くの人たちが多くのものを失ったあの日。私はというと普段通り学校で勤務をしていた。その時兼任していた小学校の会議に出席していた時である。昼下がりで眠い。。「なんか揺れているなー」と少しの揺れを感じとった瞬間!建物がそのまま崩れるのではないかと思うぐらい大きな衝撃を体感した。同席していた先生たちはすぐに会議場から飛び出し、自分たちの教室に子供がいないか揺れる校舎の中を駆け回っていた。一人で行動することが難しい小さい子供たちを日々相手にしている先生たちのこの危機対応への素早さはさすがである!子どもたちはすでに下校しており、校舎に取り残された子供は幸いなかったが、幼稚園の方は延長保育で残っている子どもがワンワン泣いているのを先生たちが必死になだめていた。
中高の方は期末テストも終わり、ほとんどの生徒たちは登校していなかったが、一部の部活の生徒たちは活動していた。小学校の先生たちが自分の校舎の様子を見に行っている姿を眺めながら、中高にも生徒がいることを思い出し、揺れる校舎の中に私も飛び込んでいった。校舎の揺れが激しいので立つことも大変だったが、なんとか校舎を見回った。悲鳴を上げながら階段を駆け降りる生徒、教室の隅でただただ立ち尽くしている生徒、世紀末とはこのようにして起こるのかと脳裏に過ったものである。
人は経験したことのない災難に襲われた時、なんとか普段と変わらないように行動したいと思うようだ。揺れが治ると部活を始めようとする生徒や着替えに校舎に戻ろうとする生徒がちらほら現れ、それを止めるのに必死だった。とは言うものの自分自身も何事もなかったようにと振る舞いたい気持ちが見え隠れし、色々な情報を処理する能力がなくなった。15m超という巨大な津波が福島を襲ったという情報が入ってきたが、「それぐらいの高さの津波は日常的にも来るのでは?」とトンチンカンなことを言っていた気がする。
その日は結局学校で過ごした。自転車で通勤していたので帰ろうと思えば帰れたのだが、「先生帰るの。。」という生徒の目線が痛く。また、当時のガールフレンドで今の妻の無事も確認できたので、いるだけで何かできるわけでもなかったが、誰かの力になれるのであればと泊まることにした。
有事の時にこそ自分の力が試されるものだ。今思うと、揺れが治りきらないうちに生徒を外に出したり、自分が怪我したら一つ面倒を増やすだけなのに、頭などを守らずに揺れる校舎の中を徘徊したり。火事が起きるかもしれないのにその様子を確認しに行っていなかったり反省したらキリがない。
それから時が経ち、「地震は起こるかも?」から「起こらないもの」と意識が再び人々の中で変化した。大変な時を教訓にし日々続け生きることは難しい。ただ我々が今手にしているものはある時、ある瞬間、自分の意思とは関係なく手から零れ落ちる可能性がある。そんな不安定な社会に生きているのだということは常に自覚し続けなければならないだろう。
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![山名和樹](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/14898487/profile_bb18ec3b93ef1b7fd3476a812d4cc3ef.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)