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パラダイムシフト
パラダイムシフトとは今まで価値のあるものとされたことが大きく変化することだ。一番身近な例を挙げると、一昔前は目の前のコンピューターのほとんどはWindowsであった。しかし、現代では半々ぐらいの割合でMacユーザーがいる。私は昔からMacも使っていたが、OSの使い勝手という面ではほとんど今と変わらない。それでも、Macユーザーが増えたのはデザイン性という面が価値あるものとして広く認知されたことにと言える。デザイン性よりも安価でそれなりに使えるという既存の価値観からのパラダイムシフトとも言える。
このような変革が起こる理由としてインパクトある事象の発生や多くの人を煽動することができるカリスマの存在が挙げられる。そう考えると今まさにパラダイムシフトが起こる準備が一つの国だけではなく全世界的に整った。それはもちろんICTが今まで以上に我々の身近なツールとして活躍するようになったということである。多くの学校、会社がオンライン会議システムを導入し、それがあまりに心地よく、ついにオフィスを撤廃したという企業も少なからず聞く。
パラダイムシフトが起きることは良いことばかりではない。その中の一つに今までのように終身雇用という制度が維持されなくなる。つまりジョブ型と言って「その人が何ができるのか?」ということが今後主流な考え方になるだろうということだ。
そうなると一番困るのは従来の通りがベストだという生き方をしてきてしまった人たちである。パラダイムシフトが起こると必ずと言って良いほど揺り戻しを必死で起こそうという抵抗集団が現れるが、そんなに長続きしない。大きな波に抗えるほど古い力というのは強くは無いのである。
教育界にいると、この抵抗勢力という存在を常々感じる。国にしてもそうだ。オンライン授業を単位として認定するか否かということがずっと議論の対象となっていた。結局「学校長の判断で弾力的に対応」ということに落ち着いたようだが、コロナを感染させるなと言いながら、その取り組みに従事すると「従来と違うので認められない。」という改めて書き出すと笑ってしまうようなジレンマに陥る。
役所も忙しいだろうから急にルールを変えることはできないだろうが、せめて「世界が収束宣言を出すまでは学校独自の判断を尊重し、感染防止に最大限努める。」というような判断はできないのであろうか。考える力を奪い、工場生産型の人材育成を目指し続ける日本だからこそ起きている問題なのだろうか。
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