能力を持たない者は見捨てられる時代に突入
先日書いたAIの記事が好評だったので、再びAI関連の記事を書こうと思う。
そもそもAIは新しい概念だと思われがちだが私の年代の人間からすれば再燃の感がある。おそらく多くの40代以上はAIという言葉は「ドラクエ」で学んだのではないだろうか?
今思えば、ファミカセにAIが搭載されているなんてあり得なく、現にほとんど使い物にならなかった。しかし、小学生だった当時は「勝手に学習してくれる」という大人の言葉を信じて、とにかくAI機能を鍛えようと努力していたものである。
しかし現代のAIはそんなものより遥かに優れており、すでにある領域では人間の力を超えてしまっているのは先日書いた記事の通りである。
ユヴァル・ノア・ハラリが執筆した「21世紀の人類のための思考」を最近読んでいるが、AIが持つ無限の可能性に驚かされる。
ベストセラー作家だけあって、我々の未来がどのようなものになるのか、説得力を持って語られている。その中で触れられているのはベーシックインカムである。このブログで採算取り上げたが、国民に最低限の生活を政府が保障するという制度である。贅沢しなければ生きて、そして死ねる。
働かなくてもお金が入る、とても素晴らしい制度だと一見思われる。確かに月7万円程度なら、死なないが働かないと生きていくのが大変なので人はベーシックインカムをもらいながら仕事をゆっくり探せる。国が成長する良い塩梅だ。しかし、ここにAIが介入してきたらどうだろうか?ほとんどの仕事はAIが行うので、必然的に人間の仕事は少なくなる。能力の高い人は自分が夢とする仕事を追い求めるだろうが、そこに辿り着くために生活費や教育費は必要だ。だからこそ、スーパーのレジ打ちなどのバイトでそのためのお金をみんな稼いでいる。しかし、今のユニクロからもわかるようにレジ打ちの仕事は確実に10年以内に無くなるか、激減するであろう。
そうなると夢を追うお金が無くなるので、ベーシックインカムの給付向上、もしくは教育サービスの無料化を求める動きになる。ちなみにサービスの無料化は一種の共産主義的考えだとハラリは説いている。国はこの期待に応えなければならなくのでさらにAIを働かせ、ベーシックインカム給付を向上させようとする。そうすると、さらに仕事は無くなる。。という循環に入るのである。
ここで問題となるのは、「なぜ人は働くのか?」ということだ。お金を稼ぐというのは一つの目的であり、主な理由はむしろ「生きがい」であろう。人間は社会性の動物だ。自分が社会に属し、何かしらの貢献をしているという手応えがないと、途端に不幸感に見舞われる。ただ、寝て、起きて、ご飯を食べる生活の繰り返し、あなたは耐えられるだろうか?勉強してもAIに勝てない。仕事は超高度な仕事以外は無く、後の人たちは社会からお払い箱。でも死なせることはしない。理想の安定した生活なので、それを革命で壊す力も生まれない。
シンギュラリティの問題は人間がなぜこの地球上に存在しているのか?という倫理的な問題を突きつけているのである。
世界を旅するTraveler。でも、一番好きなのは日本、でも住みたいのはアメリカ・ユタ州。世界は広い、というよりも丸いを伝えたいと思っている。スナップシューターで物書き、そうありたい。趣味は早起き、仕事、読書。現在、学校教員・(NGO)DREAM STEPs顧問の2足の草鞋。