(全文公開)自身のアップデート
教育というと人を育てる場所だ。先生という人生の先人が自分の知識や経験を次の世代に受け継ぐ世界。水もあまいも人類の歴史を懇切丁寧に伝える場所があるからこそ人類の発展はある。人は過去からしか学べないのだ。
教科指導であれば文科省が丁寧に学習指導要領というものを作ってくれているのでそれに添えば、とりあえず最低限の任務は完了である。そもそも教科を教えるだけならば学校でなくても良い。塾や家庭教師、最近はYouTubeといったと教科を学べる環境が世間では数多く用意されているからだ。
学校の真の価値は先生の想いや考えを直接若年世代に伝えることができ、その子供の成長に直接的に携われることにある。最低でも自分はそう考えてきた。しかし、世の中の流れが目まぐるしい現代において、自身のアップデートも当然ながら必要だ。自分の考えが20年前のままで止まっていれば、情報革命以後の世代には到底その声は伝わらない。何も先に立つ必要はない。若い世代は自分より前に行ってしまうのは常だ。しかし、彼らと共に何かを考えられ、語られる言葉を理解する最低限の知識は常に持っておく必要はあろう。
この表は教職の実態を反映したスケジュールに思える。このような時間を過ごしていて、一体いつ先生自身をアップデートさせる時間があるのだろうか?先生という仕事が何かを伝える仕事ではなく、業務として執り行う職種へと変化してしまった典型的な例とも言える。
朗報とも言えるだろう。こんな状況でも高校生のなりたい職業でトップの座をキープしているようだ。
成り手の少ないと言われている教職でも憧れを持つ若年世代がいるのは心強い。部活動はようやく外部指導員という存在が認められ、少しずつではあるが働き方改革が進んできた。
それでもまだまだこのような問題もある。休校期間中、地域のパトロールなど先生の仕事なのだろうか。。というより、そこで生徒を発見した時に声かけ以外にどうしろと言うのだろうか?
これ以外にもプリントを配り歩いたり、家でデーターが引き出せないので、結局は職場に行くと言う事例も多かったようだ。日本だけではなく、世界全体がリモート化する中、先生の就労環境は極めて悪い。余談だが私がアメリカで働いていたときはデーターなど自由に持ち出せた。万が一大切なデーターを無くしたらその人の自己責任でクビということだ。日本も自由と責任をもう少し社会全体で取り入れたほうが良いのでは無いだろうか。
年始にこのような話しで申し訳ない。しかし、緊急事態宣言が首都圏で発令されようとする今。今度こそは身の安全を守りながらも学びを止めない環境作りを目指すべきではないだろうか。
世界を旅するTraveler。でも、一番好きなのは日本、でも住みたいのはアメリカ・ユタ州。世界は広い、というよりも丸いを伝えたいと思っている。スナップシューターで物書き、そうありたい。趣味は早起き、仕事、読書。現在、学校教員・(NGO)DREAM STEPs顧問の2足の草鞋。