noteで9月入学のすべてが分かる シリーズ(第5回) 東大秋季入学の提言報告の概要と検討(その1)
東大秋季入学の提言報告の概要と検討(その1)
本シリーズは次の構成で、これまで4回(+1回)説明しました。
1.入学時期をめぐる歴史的経緯 (第1回)
(1)学制発布以来の入学時期と外国の状況
(2)9月入学論議の歴史
2.コロナ対応9月入学論議の総括
(1)自民党「秋季入学制度検討ワーキングチーム」提言書の検討
今回論議の中で一番まとまった全体報告です。 (第2回)
(2)2021年9月入学導入論議の総括 (第3回)
3.今後の9月入学論議の在り方と論点・課題
(1)9月入学 公明正大な場での本格的論議で決着を
(note2020/6/26)
(2)9月入学検討会議の開催要項の提案 (第4回)
(3)9月入学の論点・課題と検討順序 (〃)
4.東大秋季入学の提言報告の概要と検討 (今回第5回、次回第6回)
東大秋季入学の提起に関する重要な報告書が、二つあります。
(1)総長の私的諮問機関である「入学時期の在り方に関する懇談会」の
「将来の入学時期の在り方について(報告)」(2012/3/29)
当時の日本社会・マスコミに巨大な関心をもたらしました。
今回と次回は、この報告を検討するものです。
(2)役員会下の「入学時期等の教育基本問題に関する検討会議」の
「学部教育の総合的改革について(答申)」 (2013/6/13)
この答申の中間とりまとめ(2012年9月末)において、
東大浜田執行部は学内の反対・消極派に敗北し、東大秋季入学は
頓挫しました。
この(1)の報告の中心的内容は、次の2面です。
1.学生・教員の流動性(留学生の受け入れ、海外留学、外国人教員の活
用、英語による授業の実施等)の向上など、大学の国際化の要請を背景
として、留学生の受け入れ・送り出しの促進が、秋季入学の利点の筆頭
である。
2.高校は3月卒業が前提で、入試に合格し卒業後の5ヵ月間は、社会体験活
動等に従事するギャップターム期間とした。これにより、受験準備の受
動的な学びから、大学での主体的・能動的な学びへと橋渡しでき、ひい
ては日本の教育・社会全般のシステムや意識の変革につながる可能性が
ある。
この報告の概要をまとめ検討した私の資料は、単行本一冊の分量です。
従って2回に分けた簡潔な抜粋として、今回は主に「中心的内容1.」に対応する部分を、次回は主に「中心的内容2.」に対応する部分を掲載します。
(資料から抜粋するので、「1,2,3,4」等に欠番があります。)
提言報告の概要(部分・抜粋)
1.入学時期をめぐる問題点
(2)主な問題点
①学事暦の国際動向との不整合
秋季入学の国が世界全体の約7割(欧米諸国で約8割)。
留学生の受入れ・送り出しの双方にとって、入学時期のズレは当事者に余分な時間・コストを強いる。(東大の)外国人の受入れでは、大学院段階では相当の比率(18.6%)を占めているが、4月入学の学部段階では立ち遅れ(1.9%)。
日本人の送り出しでは、更に懸念すべき状況(学部0.4% 大学院2.1%)。
学部生(「留学したい」35.5%)大学院生(「交換留学生制度があれば留学したい」70.2%)とも意識に拘わらず、現実の行動との乖離があるのは、入学時期のズレが一つの要因である。海外留学の障害に関し、国立大学協会アンケートで最多の回答は「帰国後、留年する可能性が大きい」、東大学生で「大学の年間スケデュールや大学院・就職試験が留学の妨げとなった」約4割で、次いで経済的問題、語学力不足となっている。
③受験準備の学びと大学での学びとの乖離
受験準備の外発的動機に基づく受動的な学びと、大学で求められる「自ら課題を発見する」という主体的・能動的な学びとの乖離を是正するには、大学入試や入学後の初年次教育とともに、大学の入学時期の在り方も再検討されるべき課題である。イギリスのギャップイヤーを参照すると、高校と大学のシームレスな学校間接続が、どの大学にとっても常に最適であるのか再検討の必要がある。
2.秋季入学をめぐる得失
(1)一般的な得失
①メリット
最大の利点は、学事暦が「国際標準」と整合することに伴い、学生・教員の国際流動性が高まる土台を作れる(留学は挑戦しやすくなり、留学生受け入れも大学院はもちろん学部も一定の進展はあろう)という点である。
他に、学期の途中に長期休業期間が入らないことによる教育の効率性の向上、長期休暇を一層有効に活用できることによる教員の教育研究活動の活性化、教員交流の促進等もある。
さらに大学教育と企業の採用活動との関わりを、社会全体で考え直す契機として期待できる。高校から大学入学までの空白期間は、ギャップイヤーとして有効に活用することが可能である。
②デメリット
高校が3月末卒業のため、大学卒業までに要する期間は半年延びる。また、春季一括採用が主流の日本の雇用慣行から、卒業から就職までにも空白が生じ、高卒から就職までの期間はトータルで1年間延びる。公的資格試験との関係もある。これに伴い、空白期間における家計負担、就職の遅れによる機会費用、官公庁や企業における人材確保の一時的な困難等様々なコストが生じる。
コストの影響を受けやすい層、社会的・経済的な支援を要する者への様々な配慮が求められる。また、空白期間中の学力低下が生じないよう留意する必要がある。
大学運営の面では、直接コストを発生させないが、東大の場合、入試と進学振り分けの業務が同時期に集中するという問題がある。
提言報告の検討(部分・抜粋)
1.提言の背景
浜田学長(と周辺)の、提言実現への意思は強固で、用意は周到と推測される。
ただしそれは、教育・社会全般に関わるシステムを改革しようとする意思を中心とし、秋入学自体は「教育改革の第一段階」「有力な手段」(P15)「大事なことではない。改革への動きがあることが重要」(浜田学長・2012/5/19東大五月祭講演会)なのである。全体的改革が実現へと動くなら、1月入学でも4月入学でも構わないとの印象すらある。それらは、次の点に伺われる。
①提言報告中、5ヵ所で秋季入学が「国際標準」と強調されている。日本語はこのような状態は「多数派」や「主流」と表現するのであり、情報法学者およびその周辺は、こうした用語法が適切でないことを承知で、1ヵ所「事実上の国際標準」と言い訳をしている。それを超えて、秋季入学を正当化・権威づけしたい心理と戦術である。
ちなみに全国紙の記事が相当数、引用カギ括弧なしで追随しているのは、記者の言葉に対する意識レベルが低いだけである。
②大学ランキングに関し、キチンとした分析に基づき、国際化推進の合理化を追求している。タイムズ・ハイヤーエデュケーション(THE)などに、多くの問題(様々な指標を総合して序列化する方法の不合理性、調査・分析プロセスの不透明性、根拠データの正確性・標準性の不十分さ、専ら英語論文を評価対象とするバイアスの存在等)を認識した上で、総合順位を構成する個別の指標は参考にすべきとし、特に留学生比率や外国人教員比率といった国際化指標の面での東大の立ち遅れを指摘している。(P9)
③提言では、「(東大の)教育改革を加速する観点から」「国際化に対応する教育システムを構想する一環として」(P3)検討した、と明言している。
さらに、それに止まらず教育制度全体・社会全体の改革を構想している、
できるかもしれない、と考えているのは明白である。
・「他大学や産業界などに波及」して、「日本の教育・社会全般のシステ
ムや意識の改革につなげていくことを目指したい」 (P15)
・「大学教育」と「企業の採用活動との関わり」を、「社会全体で考え直
す契機」として期待したい。 (P11)
・「政府」からの「大学の裁量を尊重した制度設計と運用(修業年限、公
的資格試験の実施方法等)を行うことが望まれる」 (P33)
3.「入学時期をめぐる問題点」に関する検討
大学の入学時期は、いつが適切か。
北半球・温帯に位置している日本は、(大学では前期・後期の二期制が区切りとして適していることから)秋入学・9月学年開始、1月頃に冬休み、7・8月夏休み、の学年暦がもっとも合理的であろう。ただし、春入学・4月学年開始、8・9月夏休み、2・3月冬休み(東大は実質上、この学年暦)も、これに次ぐ。秋への移行に伴う全社会的コストが少ない場合は、進めるべきである。
ところで、入学時期と会計年度の始期が(日本のように)一致するのは少数であり、欧米諸国の例はない、とされる(P5)。各国の入学時期は、教育制度・歴史・文化・経済等より、多くは季節に規定されているようである。つまり、北・南半球とも、夏休み(あるいは一番長い休み)明けから、新学年が始まる。
主な問題点① 欧米諸国の約8割が秋入学であるので、春入学では留学生の受入れ・送り出しの両面で、余分な時間・コストがかかるのは、間違いない。しかしそれにより、留学生数が希望者数よりどの程度減るのか不明である。減る部分を確保するために、確立していて波及分野の膨大な春入学を変更するに値するか。
主な問題点③ 秋入学になれば、春入学にはない高校卒業~大学入学間の空白の半年を、ギャップタームとして様々の体験活動により(受験勉強の「受動的な学び」から脱却するために)有効利用できるとするが、秋入学を前提してのメリット追加との感が拭えない。ただしこの種の社会的見聞活動の意義は明白であり、検討すべきはどのようなではなく、まずどの程度の有効性があるのかの把握である。至上の意義が認められるなら、修業年限の中に半年間以上の義務期間とすべきであろう。
4.「秋季入学をめぐる得失」に関する検討
(1)秋季入学移行で、留学生数はどの程度増加するか
提言報告の論理
a.(東大学生の)留学の障害は、「大学の年間スケデュールや大学院・就職試験」40%、「経済的な問題」31%、「語学力の問題」23%。秋入学になれば、増加する。これが秋入学の「利点の筆頭」である。
b.学部段階での受け入れについては、種々の理由により長期留学生を増やす効果は不確実だが、サマープログラムなどの短期留学生は増える。
これに対する議論(学内募集意見を中心に)
・経済的な問題や語学力不足の方が大きい。経済的支援が必要。
・留年へのおそれや就職活動への支障が大きい。単位互換制度・学籍管理の
柔軟化、採用慣行の改革の方が重要。
・受入れ増には、魅力的な講義、講義や事務の英語化や奨学金制度を含む受
け入れ環境の整備の方がずっと重要。
秋入学が、海外への留学に効果があるのは間違いないが、どの程度か予測しがたい。学部段階での長期留学生の受入れについては、効果は不確実。
もちろん東大提言は、秋入学で事足れりとはしていない。
なお、
・(中韓に比べ)海外留学が少ないのは、日本が最先進国になった表れ
・研究者としての基本的な考え方を確立する前に、留学に送り出すのは大学
としての教育の放棄
・非英語圏への留学も推進すべき
といった、文明論的・教育論的意見にも留意すべきである。
(2)高卒後半年間、大卒後半年間の空白期間から生じるコスト増
・その間の家計負担(どうしようもできないだろう)。
・就職の遅れによる機会費用の発生(避けられない)。
・秋季卒業者は、新卒者の春季一括採用慣行にどう対処するか(困難)。
公的資格試験の受験も、都合が悪い。
相当程度のコスト・不利が生じるに違いない。
提言の回答は、「コストの影響を受けやすい層、社会的・経済的な支援を要する者への様々な配慮が求められる」。誰が(主に金銭的な)配慮をするのか。浜田学長も「就職の問題にメドが付かなければ秋入学はない」と明言。高卒後の空白期間における学力の低下(特に理系で問題)の可能性の指摘に
対しては、「一律に判断しにくいが、留意すべき」。
(3)半年間の空白期間を、ギャップタームとして活用できるか。
提言報告の論理
「受験競争の中で染み付いた点数至上の意識・価値観があるとすれば、それをリセット」させるのが、「大きな教育上の挑戦」。 同じ意味で、「受験競争」における「ともすれば」「外発的動機に基づく受動的な」「学び方」から、「大学で求められる『自ら課題を発見する』という主体的・能動的な学び」に転換させるために、「大学入試や入学後の初年次教育などの在り方と併せて」ギャップタームが活用できる。
これに対する議論
「点数至上の意識・価値観」という認識が、どれほどの妥当性を有するのか、分析により証明した事例があるのか。ないとすれば、分析が待たれる。高校までの学び方と大学であるべき学び方が、日本の場合相当乖離があるのは、確かである。しかしそれは、半年間の留学、職業・ボランティア体験、旅行等で克服できるものか。むしろ一義的に、高校までの教育課程での、学習内容・指導と学びの方法の変換(一例としては哲学教育、ディベート教育)によるしかないのではないか。
それとても、あからさまに言って(大学生全体を考えるとき)半分以上に必要なあるいは可能なことであろうか。
とはいえ、これらの活動を社会人として出立する前に体験しておくことは、
有意義であり、その重要性の評価によっては、(1~2か月であっても良い)高校・大学の段階における(法制上ではなく各組織の)必修とすることも
考えられる。
ギャップタームにおける意義のある活動は、留学、職業・ボランティア体験などに限定されるものではなく、「私の学部の4年間で2年近くは、大学紛争のため授業などがなかった。(決められたやり方でなく、自らやることと時間を管理しなければならなかったこの期間こそ)ギャップタームとも言える」。(浜田学長・2012/5/19前述の講演会) また貧しい家庭の学生が、勉強を続けるために工夫して、資金を稼ぎさまざまの手続きをこなしていくのは、長いギャップタームと言える。
ギャップタームの実行可能性について、学社連携ネットワークを核とする体験活動推進の枠組みができれば、様々の活動が可能になる素地は形成される。 しかし、有効に使える度胸・知力・財力を持つ学生はわずかで、
圧倒的多数の学生にとって、単なる時間の無駄に終わる、あるいは(全大学生を見た場合)高卒後、多くの若者は遊んでだらだらするしかないのが現実、といった指摘が、決してシニカルなだけではないことに注意が必要である。
なお、海外留学やその他の体験活動にアクセスしやすいのは、都市部の富裕層(の子弟)であり、経済的困難を抱える層・地方出身者が、不利であるのは明白。この場合でも、「誰が金を出すの。」といった局外者的突き放しと同じく、「誰か(国?)が出すべきで、出すだろう。」といった状況・体制へのすりよりも、問題がないか。
秋季入学は直接的には、「大学の国際化」の要請から導かれたものです。
1.大学の国際化と課題
(1)大学の国際化とは何か
提言報告によれば、大学の国際化を促す二つの状況から、内容が導かれる。
一つは、社会・経済のグローバル化に伴い、指導的人材に求められる資質・能力が大きく変わってきており、多様性・開放性をもつ「グローバル人材」の育成が望まれていることである。これに対応するため、海外留学の促進や語学力の強化を始めとする大学教育の国際化が必要とされる。
二つは、国際的な大学間競争の活発化である。これに対応するため、学生・教員の流動性(留学生の受入れ・海外留学、外国人教員の活用、英語による授業の実施等)の向上が、大学教育の国際化として必要とされる。
国際化の内容として、具体的で明確な把握である。
「グローバルな大平原で、能力を競い合い、また協調していこうとするマインドセット」(東大・浜田学長)を大学に適用すれば、二つ目の意味合いであり、「日本の大学が閉ざされた市場を開放し、真の国際競争に打って出れば」(日産自動車・志賀CFO)との指摘も、同様である。
留学、外国人教員、英語による授業という具体的内容を一般化すれば、「日本人が日本人に日本語で教える」環境を変える(国際教養大・中嶋学長)のが、大学の国際化となる。
日本の大学で、「イギリス人がイギリス人に英語で教える(ついでに事務も日常会話も英語で)」のが、国際化の極限となるだろうか。しかし、これはおかしいと感じられる。どの程度まで認められるのだろうか。また、認められる程度までは、段階が進むほどよいのだろうか。留学生数あるいはその全学生中の比率の目標などが設定されるが、国際化の限度の視点からではなさそうである。
この一般的定式で注意すべきは、「イギリス人が」が「ドイツ人が」に、「イギリス人に」が「ドイツ人に」になってもよいが、「英語で」は「ドイツ語で」にはならないことである。16世紀末以来のイギリス帝国の興隆、引き続くアメリカ合衆国のあらゆる分野における圧倒的プレゼンスにより、英語のいわば言語帝国主義的な支配がもたらされている現在では、大学の国際化は英語化として現われざるを得ないのである。旧植民地の人々にとり、英語・フランス語といった宗主国の言語の習得は、生存の条件とまでは言えないにしても、出世や経済的成功における必須条件に近かっただろう。今日、中国や韓国などの英語学習の状況は、同じ条件を反映していないか。少なくとも大学レベルで国際化が語られるとき、言語面では英語化を意味する。米国際教育研究所(公的奨学金の運営など留学生を支援)のグッドマン理事長は、東大の秋入学を「劇的で前向きな影響を持つ。米国のみならずヨーロッパや世界の他の地域と足並みをそろえられる。」と評価したうえで、「もう1点。政治、ビジネス、教育など日本の各分野のリーダーが、世界の共通言語として英語を使っていくと決意表明する必要がある。具体的には、大学で英語の講義を増やすことや企業の会議を英語にすることなどだ。産官学が声を合わせることが重要だ。」としている(2012/2/16朝日新聞)。植民地側が(おそらく苦汁をもって)手段としての英語を第二言語としている状況を、宗主国側は見事に表現している。
「英語は手段に過ぎない」あるいは「中国語、ノルウェー語など英語以外の言語を学生が学ぶことも、大学の国際化には重要である」と強調されても、英語化の圧倒的実質を浮かび上がらせるだけではないか。
以上は、関与者・言語の側面からの視点だが、大学教育の国際的な傾向から捉えることもできる。「教育の質を(国際的なレベルに)高める」ことが、日本の大学教育にとって意味あるグローバル化対応であり、具体的には大学院修士課程の充実となる。なぜなら「国際的には、先端の人材育成は大学院の場に移って」おり、大学院の定員を大幅に増やして、(また大学院に投入できる教員力を増やして)少人数できめ細かな教育を行えるように改革しなければならない。(オックスフォード大・苅谷教授)
大学の国際化でありかつその結果・目的とも考えられるものに、「異文化交流の拡大」がある。外国人留学生数の増加は、(もちろん日本語・日本文化の教育プログラムを必要とするが)日本の歴史・文化・伝統等の理解者を増やすことになる。キャンパスでの留学生の活動・働きかけは、単一文化ともいえる世界で育ちがちな日本人学生の、国際感覚の向上を越えて、世界観・人生観につながる意識や考え方を、相対化させずにはおかない。互いの切磋琢磨が、互いに決定的な影響を与えうるともいえる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?