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評論漫談(理くつと面白み)第3回 「倍返し、返すものは何?」 逆引き辞典の世界から


 年を取るにつれて、伝えたいあるいは考えたい物や事柄の名前が出て来なくなります。忘れたわけではない、この舌の先まで来ているんだが、と強がっても、それを忘れたと言うんだ、と返されかねません。
相当な交流のある人の名の場合など、少し自嘲気味に後ろめたくなります。付き合いの内容がどうかが大事なのだ、と正当化しても、遠くでカラスがアホーと鳴いています。

 辞典は、特定の言葉について情報を得るもので、言葉それ自体を見つけ出すための辞典はありません。内容が分かっていてその言葉を見出す、本当の逆引き辞典はありません。複数のキーワードを、PCやインターネットでクロス検索して、見つけるしかありません。あるいは、あなたの物忘れに付き合ってくれる暇人を必要とします。

 しかし、内容から言葉の本当の逆さ引きではないが、逆引き辞典と称するものがいくつかあります。言葉の見出し仮名を逆順読みして、五十音順に排列した辞典で、私は岩波の「逆引き広辞苑」を時に用います。例えば任意に、「かんごくべや」→「たこべや」→「おとこべや」→「うしべや」の順です。内容の説明はないので、普通の辞典で意味を調べます。
用途は、類語辞典または地口・語呂合わせのヒントとしてです。日本語は多く、語の末尾部分が意味内容の中核部として働き、前の部分はその修飾・限定として機能します。複合語の場合は特にそうです。従って、語末を同じくする語のグループは類縁関係があり、それを近接した位置で一覧できます。

 アタマからだけではなく、ケツからも見る、考えることは、新しい視野を開きます。笑点のあの落語家の専売特許では、もったいない話です。

 今回は、「~返し」の語グループを眺めてみましょう。


倍返し、返すものは何?

 逆引き広辞苑(第四版準拠)では、「~かえ(返)し」のグループにちょうど100語が収録されている。「かえす」という動作には、①表裏、上下などを反対にする ②もとへもどす の二つの主要な意味があり、この方向性の元、様々な状況を表現している。

 すぐに気づくのは、中高年者になじみの深い、つまり懐かしい伝統的な語が多いことだ。着物の色を、染め変えたり裏表変えたりの、「藍返し」、「黄返し」、「紅返し」、「梅返し」、「染め返し」、「小紋返し」、「茶返し」がある。
歌舞伎などで舞台を早変わりさせる装置としての、「強盗返し」、「田楽返し」、「戸板返し」、「打返し」、「煽り返し」がある。
柔剣道、相撲の術もある。「胴返し」、「蹴返し」、「小手返し」、「木の葉返し」、「燕返し」。
その他、縫い方や雅楽などの奏法に関する表現も多い。

 言葉の収録は過去の事柄を収録することである以上、ある程度以上古いものが多いのは全般的な傾向だが、「~返し」グループに目立つのは、昔に返るからか?

 昔も今も、それどころか人類が消滅するときまで重要なのは、「相手にどのように対応するか、返すか」に間違いない。その時大きく分けて、二つの方向があるだろう。
まずは「肯定的な友好的な返し」である。「礼返し」、「御返し」、「鉢返」(托鉢僧への喜捨に対し尺八吹奏)、「鮑返し」、「恩返し」、「香典返し」、「半返し」と出て来る。最近では官僚の、上司や政治家に対する「忖度」もしての「オウム返し」が世を賑わした。少し古いが、若い女性の「微笑み返し」には、人懐っこさと高原の情景が浮き出る。

 もちろん(と言っておこう)、人間にとりより根本的な方向は「否定的な敵対的な返し」になる。「しっぺい返し」、「返報返し」(恨みに報いる)、「仕返し」、「雑ぜっ返し」、「手返し」、「手のひら返し」、「言葉返し」、「見返し」、「矢返し」(仕返し)、「意趣返し」、「切り返し」と鋭い感覚の表現だ。最近のドラマでの流行は「倍返し」のようだ。

 「倍返し」は、恨みと感謝に応じてそれぞれ逆の両方向に向かう。しかし気持ちがありありと窺われるのは、やはり恨みと復讐の「返し」だ。平均的な人にとって、腹を立て憤る場面より、有難いと感謝する場面の方がかなり多いと思われるが(違うだって。一応この場は顔を立てさせてもらおう)、返す時には圧倒的に意気込みが違う。ドラマの形相や大きな声だけを言っているのではない、普通の日常場面のことだ。
どちらの方向にしても、程度の点ではおとなしい表現だ。中国(古典?)なら、「千倍返し」になっている。知らなくて言うのだが、ほかの国々ではどうなのだろうか?

 もっと大事な「バイ返し」がある。微笑み返しの女性の「バイ」に対し、「バイバイ」とあいさつを返す気軽さから、再び会うことのない相手にこの世の(いや全世の)別れの言葉を返すものまで、とにかく決着をつけねばならない。会ったからには。

 相手に返すものは、多種多様で無限とさえ言ってよい。また、返されてそれに返して、無限に続いていく、どちらかが死滅するまでは。
サヨナラだけが人生、ではない。多分、少々意義のあることが続いてサヨナラするのが人生だ。マンダン♪

 

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