裸の社交場

 銭湯に行く時は大抵一人か、知り合いとその後飯でもみたいな感じで行くので、上がったら誰かと別れるというシチュエーションがあまりない。しかしヴァルハラの紳士たち――開店を待つ爺様方――の会話に耳を傾けると、どうも相手の名前すら知らないのに、今日は早いね、最近どう、それじゃあお先にといった、かつて戦士たちがその戦場、つまり職場で交わしていたようなルーチンの言葉を使っていることに気が付く。

 決まった時間に決まった場所に訪れ、自分たち専用の道具を用いて、決まった工程をこなす。紳士たちはどこか、かつての自分たちを懐かしんでいるようにすら思える。今や悠々自適、コロナ禍でのささやかな娯楽としての銭湯は、彼らにとっての社交場でもあるのかもしれない。最近の銭湯はシャンプー類が無料で設置してあることも多いが、彼らはほとんどそれらを使わず、選りすぐりのツールで丁寧に体を清めている。湯船に浸かっているより、体を洗っている時間の方が長いぐらいだ。現在の情勢下では銭湯でも会話は憚られるが、互いの無事を確認し合うかのように、一言二言会話を交わし、体を洗い、湯に浸かり、そして去っていく。

 恐らく紳士たちは、現世からもそんな風に去っていくのかもしれない。また会えると約束すらせずに、静かに、ひっそりと。

 でもそんな時間に銭湯に行っている自分はまだまだ紳士になるには程遠く、やらなきゃいけないことを放り投げて背徳の湯を使っているので大分やばい感じがした。仕事しろ。

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