”生きる”とはどういうことか
生きるってどういうことかって問う事があると思うし、答えは人それぞれだと思う。
生きること、それは『自分が生きている』と感じるために生きると思う。色々な考えがあるけど、これが一番心が熱くなる。 僕が生きていると感じているのは大学三年時に中国西安市に留学に言っている時だ。西安に行っている時に、旧ソ連の人たち(カザフとか)が集まる寮で生活した。一緒に暮らしたイタリア人の男の子は自国のキリスト教の洗脳的な教育が嫌だと言ったりして中国に来ていた。彼は超哲学が好きで、彼と人生について話し合っていた事があった。その時が一番楽しかった。
ところでジャズな生き方というものをご存知でしょうか? テレビをつけた時にタモリが提唱していた生き方なのだが、それは将来のある目的や時のために生きるのではなく、今を生きてくれ、というものだ。 しかしただ命令形で今を生きろ、と言われてもピンとこない。今を生きろとはどういう意味なのだろうか。 それは多分、少しは肩の力を抜いて無目的に生きろという事なのだ。生きる事に目的などなくても良いのだ。 僕の解釈だが、将来の目的や何かのために、今を殺す事をやめてくれ、という事だと思う。例えば、友達と美味しいケーキを食べながらスタバにいたとして、友達の話を聞いているのに頭の中が、嫌な受験や就活の事でいっぱいだったらあなたはどう感じているか? その瞬間を感じれていないような気がしないだろうか。 将来の事のために今を殺しているとはこのような事なのだ。
特に日本の新卒制度のように卒業したらすぐに就職をしなければ、既卒になるとか、社会の要求する時期がいちいち合わなければいけないという例がある(まあ、結局あまり関係なく就活はできるんだけどね)。こういう事が日本人の生きづらさと関係があるのだと思う(準備は大事だけど)。
僕自身は海外にいたこともあってか、同じスーツを着るのが嫌だったり、なんで大学三年生になったら皆一斉に就活をしだすのかという事に違和感を感じて就活はほとんどしなかった。頭の中は海外に行く事でいっぱいだったので、、、笑 でも確かに焦りはしました。海外は一つの逃避先でもあったのかなと思いながらも、現在もコロナ後にどうやって海外に行こうか色々迷走中です。