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存在するだけで価値がある?ー生き方と働き方の再考ー


はじめに


働く図鑑へようこそ。
これは、「自分だけの働き方」のヒントを見つけるための冒険です。大学3回生秋、当時の私は、見えている景色の中に、心躍る働き方を見つけられずにいました。様々な働き方に出会いに行く私の旅路を通じて、同じ違和感を持つすべての人が「自分だけの働き方」を考えるきっかけになることを願っています。

今回のゲスト


前回に引き続き、中田俊さんがゲストです。
私がインタビューしに行ったのですが、今回の会は私がインタビューされる回になりました(笑)。

前回の記事

本編


自分を追い追い詰めているのは私?

中田さん: なんでそんなに追い詰めちゃうんやろ?

ー休んでる自分が許せないのかな?
たぶん何物でもない自分が許せないんだと思います。自分に対して価値を感じるタイミングが、だれかから評価されたときとか、頼りにされたりときだったのかもしれません。誰かのために何かをしてる時間や頑張っているという事実に対して評価がついていたから、イコールそれが自分の価値になっているのかもしれないです(笑)。

中田さん:誰かのために頑張って、それを認められて喜ばれることは悪いことじゃないよ。でも、「何もやっていない自分に価値がない」っていう考えが外れないと、ずっとそれやっちゃう。そう思ってたらずっと動かなきゃってなっちゃう。

ーええ、でもなんですか、何もしてない自分って。

中田さん:価値ないんかな?

ーえ、ない感じがしちゃう。え、あるんですか?

ここにただ存在するという価値

中田さん:例えばだけど、生まれたての赤ちゃんって寝っ転がってるだけで喜ばれるやん。

ーそうですけど。。。でもそれはそういう環境が整っているというか、生まれることを待ち望んでくれた誰かありきで喜ばれてるっておもっちゃいます。

中田さん:うーん、じゃあ、昔はさ、人間は今みたいに何かしてなくても、役に立ってなくてもトイレするだけで循環が生まれてたりで価値につながっている時代があったわけじゃん。
あれもこれも頑張ってなきゃ私認められないってなったら無限に頑張り続けなきゃいけなくなっちゃうじゃん。自分で自分をつるし上げるっことになっちゃう。

ーそうですね、いや、ほんとはわからないですよ。普段ここまで考えて行動しているわけではなくて。
今聞かれたから初めて考えてみて、こうなのかなって思っただけなんです。
何もやってない自分に価値がないっていうよりか、何かを成し遂げた自分を誇らしく思うから、じゃあ、自分の価値ってそこなのかなあって。

存在の価値は行動から来るのか

中田さん:人間は欲があるから、称賛とかそういうのを心地よいと感じるけど、それをしていないと人間には価値がないのかって言われるとどうだろう。
その捉え方で言うと、成果を出せない人間が生きていけなくなっちゃう。りこちゃんはさ、活動を通して知り合った団地のおばあちゃんの事どう思ってる?都会で暮らすビジネスマンに比べたら生産性がないから価値がない?

ー いや。そんなことはないです絶対。

中田さん:おばあちゃんがさ、こんなことしてくれたから、価値があるってかんじかな?

ー いや、それも違います。何かしてもらったから、価値あるって感じじゃないです。そこは確実に、いるだけでの価値があるって思えます。

中田さん:そこにいるだけでうれしいみたいな?

ーそうそう。でもそれが自分に対しては感じないというか笑。なんか「存在しているだけでいい」なんて、そんなことあるのか?って思っちゃってます。だれか、とかじゃなくて、自分自身に対して。私ってここにいるだけでいいの?ほんとに?って感じです。

生産性の話に戻るんですけど、
おばあちゃんはビジネスマンとは生産性の種類が違うけど、同じ生産者であることは変わりないっていう認識かもしれないです。

私は、おばあちゃんたちに「安心感」を感じているんですけど、そういう意味で私にとっておばあちゃんたちは「安心感」とか「心地よさ」の生産者、みたいなイメージで、、、。
この安心感って、私たちが出合って、関係性が築けて初めて生まれたものであるから、何か行動した結果の価値な気がしていて。

私たちが出合っていなくてもそう思えていたかと聞かれると
うーん、その時の価値はわからないかもしれないです。

ーーーーつづく。



締めくくり

答えのない悩み

友達や団地のおばあちゃん、家族や今までであってきた人など、自分以外の人には価値があるって思えるんだけど、
その価値は、これまでの関わり合いの中で感じることができるようになったものだから。相互の働きかけによって生まれた価値だから。

私の主観による、私とあなたとの関係性の中での価値だからこそ、
顔も名前も知らない地球の裏側の人の価値が分からなくて、

それと同じようにただそこにいるだけの私に対しての価値もわからなくて。


地球の裏側の人にとって私って何なんだろう。
今隣にいてくれている人にとっての私って何なんだろう。
私にとって私って何なんだろう。
この日は答えが出ませんでした。

問いかけの意味と今の心境

あまりにも赤裸々な文章なので、ところどころ誤解が生まれるような表現があったかもしれません。

でもこれは、誰かの価値を否定するわけでも、存在を否定するわけでもなく、
自分に全く関係のない誰かの価値を考えるという行為を通して、何も生み出してない、ただ存在するだけの自分の価値を考えようと試みた結果です。

正直なところ、今も答えは出ていません。
でも取材当時よりも、何も生み出していない自分に対して、価値を感じられるようになっています。

この心境の変化も少しづつ残して行けたらいいなと思っています。

最後に

「生きているだけで素晴らしい」当たり前のことなんですけど、当たり前だからこそ考えなかったのかもしれません。
なんで生きてるだけで素晴らしいといえるのだろう。

きれいごとや誰かの言葉ではなく、自分が本当にそうだと思える答えを見つけることで、「何かしなきゃ」というプレッシャーから解放されるのだと思います。

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