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カタチよりも想いでエコに旅をする、「ゆるサステナ旅」のすすめ

旅が、自然環境を破壊しているってどういう意味⁉ 
それは困る、私は「旅する自然派ライター」なのに……!

確かに旅の仕方によっては、その地に望ましくない影響を与えることもあるだろう。であれば、どんな旅が地球環境にポジティブな影響を与えることができるのか。

今後もきっと思いのままに旅する。そんな私が考える「ゆるサステナ旅」。著書に書いた、旅と地球の優しい共存方法を紹介したい。


旅ライフから導かれたこと

2年の世界一周を含む、5年ちょっと世界を放浪してきた。私にとって旅とは呼吸するようにできること。当たり前のように選択肢としてそこにあり、常に私に生きる力を与え続けてくれた。

ちなみに私は今フリーライターだけれど、キャリアの最初は旅行雑誌のフリー広告制作だった。旅先で暇を見つけては没頭した「スクラップブック」作りが、その仕事に導いてくれた。

夢中で作った旅帳(スクラップブック)がライフワークへつながった

つまり私のライフスタイルがワークと重なるところ、それが旅と書く(表現する)ことだった。

日々の選択に心を込める

ときを経て、デイレクション業からライター業となり、フリーランスになる。当初はありがたいことに京都の情報誌やフリーペーパーの取材・執筆という仕事を中心にご縁をいただいた。

フリーになって自炊することが増え、そこから私はまずは食、そして日々の選択を意識するようになる。
それは私の母が蒔いてくれた種で、彼女は昔からオーガニック栽培の野菜や伝統製法で作られた調味料を使った、丁寧な料理を食卓に並べてくれた。そのありがたみに今さらながら気づいた私は、それを自身の暮らしに取り入れていくことにしたのだ。

日本にいるときは毎月、旬食材を使った「父のおもてなしご飯」を実施

そのように自然に沿った選択肢を重ねるほど、毎日の「食べる」以外でも気になることが増えた。つまり意識が変わり、立ち位置が変わったため、見える世界が180度変わってしまったのだ。

かつて「ジャンクフード上等!」だった私。それ自体を悪とするつもりはない。でもそれは私が、そして私の細胞が本当に喜ぶものなのかな。それを作る過程で自然に還らないものをたくさん生み出し、地球に垂れ流していないかな、といった具合に…。

大切なのはまず自分に優しく、心が沿う選択をすること。

いきなり環境問題を相手にするとどうしても大ごと・人ごとになりがちだから、まず自分や大切な人ために選ぶこと。
日々の選択の一つひとつが、今と未来の私たちや世界を創っている。少しでも違和感を感じたら、そこには必ず理由がある。あなたにとって「違う」ことかもしれないし、それらを作っている人たちの考えが、あまり望ましくないものかもしれない……。

そのときはわからなくても、いったん距離を置き様子を見よう。違和感が解消されればそれでいいし、変な感じがすると直感が教えてくれるならほかの選択肢を探す。そんな風に、自分の選択肢には責任を持っていたい。

大好きなBeさんのヘアオイルは香りがばつぐん!アップサイクル原料を使用
ぬか漬けのぬか床は取材もさせてもらった「発酵食堂カモシカ」さん

これを積み重ねることで、自分の中でぶれない軸ができてくる。それはAだからBといった固定されたものではなく、感覚の精度が高まり違和感に気づきやすくなる、という感じのこと。
実は、この感覚こそが「ゆるサステナ旅」に欠かせないものなのだ。

ライターとして発信したいこと

プライベートでそんな風に変化があったのだから、仕事に影響がでないわけがない。商業ライターの活動も日々刺激的で楽しかったけど、より関心の高い分野を深掘りしたくなった。

そこでエシカルやサステナブルといった、人と自然に配慮した取り組みを行う企業や生産者さんを応援できるライターとして活動しようと決める。どうしても循環型ではない大量生産・大量消費型のビジネスに共感できず、心が動かなくなってしまったからだ。

そんな風に自然な、でも抗えない流れで私は「自然派ライター」と名乗るようになる。そこに私のもうひとつのエッセンスである旅を加え「旅する自然派ライター」としたとき、「まさにこれよ、これ!」とひとり心躍らせた。

バリのウブドにある循環型ホテルで取材も|Mana Earthy Paradise
ガーデンの端にあるコンポスト|Mana Earthy Paradise

旅と環境破壊の話

バリ島のオーバーツーリズムも気になった

ここで「旅が環境を破壊している」という冒頭の話に戻る。

そもそもこの概念は北欧、主にスウェーデンの人たちが飛行機の旅を「Flygskam(フリュグスカム)=飛び恥」と呼び、止めるよう呼びかける環境活動によるもの。気候変動を引き起こすCO2の排出量削減を目指すため、旅行そのものを見直そうということらしい。

「そんな考えがあるのか!」と驚いたと同時に、嬉々として決めたばかりの私の肩書に「それ、大丈夫なの⁉」と、その矛盾を突きつけられた気がした。

でも私にとって観光がもたらすネガティブな影響は、フライトそのものよりほかにあるように感じている。

直近の、東南アジアの滞在でリアルな影響を目の当たりにしたことは大きい。特にバリ島での現地人も辟易するような渋滞、そしてアメッドでのフリーダイビングで驚いた水中に漂うごみの多さ…。

ほかにも世界中で、多くの旅行者が押し寄せたことによって自然の破壊が進み、ビーチや湾、遺跡など特定の地域が閉鎖されてしまった場所も少なくない。閉鎖まで行かなくても、マチュピチュやウユニ塩湖のごみ問題はじめ自然破壊も年々深刻化している。

これらこそオーバーツーリズムがもたらす主なネガティブな影響ではないだろうか。

じゃあ、旅を放棄するべきなのか

観光が環境破壊につながるとはいえ、飛行機に乗らないことがそれらを解決してくれるとは思えない。それはいくらなんでも乱暴すぎるし本質的な解決にはならないだろう。

だって、旅には人生を豊かにするエッセンスが詰まっている。それにむしろ、旅の仕方によってはその地をよりよき場所にするサポートすらできると信じている。
実際に「世界をよりよく変えたい」と活動する人たちの中に、世界を自分の目で見、足で歩いてきた旅人たちが多いのも事実なのだ。経験したからこそ見えてくる世界は必ずある。

個人的には陸路移動が多かった。これは南米のバス、お気に入りのアッパー席

私たちにできることは、意識的に旅をすること。これが私が出した、今のところの答えだ。もちろんすでに触れた「選択に心を込める」も含まれる。

地産地消の伝統料理に舌鼓を打つことで地元の生産者やレストランを応援したり、心地よさを求めて訪れた自然豊かなスポットを発信することで、局所集中型のオーバーツーリズムの緩和に一役買うかもしれない。
いずれも「旅先で地元の食を堪能したい」「心地いい場所を訪れたい」という丁寧な選択によるジティブな影響だ。決して流行っているから、皆が行くから、ではない。

優しい選択の積み重ねが、信頼できる軸に

2023年12月に出版した初の著書「ゆるサステナ旅」

私たちにとって「本当の意味で」優しいものが、地球環境を壊したり人を貶めたりすることは考えにくい。

まず自分の心地よさを軸としたを物差しを持つこと。

それは間違いなく旅先でも生きることになるから。食から身に着けるもの、宿泊先まで、旅先では顕著に選択の連続だ。地域に根差した食堂で食べる、地元の伝統工芸をお土産に買う、エシカルな取り組みのホテルに泊まる、そこで食事をするなどできることは多い。

だからといって旅先で急にサステナブルを意識しても、付け焼き刃になるだろう。でもそういう想いで日々生きているなら、その軸を持って旅をすることこそ「ゆるサステナ旅」になるのではないか。

またオーガニックや無添加を意識し出すと、極端になり過ぎて自分で自分の首を絞めてしまうことも少なくない。そこに楽しさはなく、息が詰まって止めてしまう人も多い。だからこそ「ゆる」っといきたい。

ちなみにこの視点で旅をすると、旅先で同じような考えの人たちと出会い、会話も生まれやすい。情報交換や体験を重ね、単純な旅行ではたどり着けないような旅ならではの交流に発展することもある。
旅人としても自然派ライターとしても、この面白さは魅力になる。

だからこれからも、心のアンテナに正直にゆるサステナブルに旅をする。私はその先の世界が見たいのだ。

#未来のためにできること


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